小手指ヶ原古戦場~白旗塚遺跡~砂川遺跡を歩く

所沢市埋蔵文化財調査センター集合:13:00
所沢市埋蔵文化財調査センターの東側の道を南に向かって5分くらい歩くと「小手指ヶ原古戦場跡」の碑がある。私はおよそ30年前に訪れたことがある。その頃は、一面お茶畑であった記憶がある。今では民家も建ち、記憶の中の景色とだいぶ違っていた。それでも、この付近はまだまだ緑が残っている方だ。

●小手指ヶ原古戦場跡
今から約700年前の元弘3年(西暦1333年)5月8日、鎌倉幕府を倒すために、新田義貞軍は、現在の群馬県新田郡を出発し、3日後の11日にこの場所で幕府軍と戦った。
          「小手指ヶ原古戦場跡」とその付近の景色」
●白旗塚
新田義貞が合戦に際して源氏の白旗を挙げたと云われている。また、一方では古墳だと云う説もある。
「この塚に登ると災いを招く」と云われているそうだ。その性だろうか、畑の中のこの一角だけが、鬱蒼とした木々に囲まれて昔の面影を残している。
でも、私たちは登ることにした。急な石段を登ると、頂上には「白旗塚 浅間神社」と彫られた古い碑があり、富士塚としても扱われていたことが分かる。「登ると災いを招く」と云うこの地域の言い伝えは歴史の保存に役立っていたのかも知れない。
●白旗塚遺跡
旧石器時代から縄文時代にわたって人が住んでいたと思われる。ここでは、旧石器時代の石器が4、縄文時代の住居22、土坑71などが見つかっている。今でも、畑の土壌の上に土器の破片が散乱しており、私たちの中でも何人かは土器の破片を拾っていた。(畑の中には入らないように注意しよう!!)
●不動橋
不動橋は砂川堀にかかる橋の一つで、永久に崩れないことを願って「不動橋」と名づけたそうだ。ボランティアがここ数年にわたり砂川掘の清掃をしていたため、川は以前のような清流に戻り、地下に埋もれていた草花が蘇生したとのこと。
●石神遺跡 ●番場遺跡
石神遺跡から南に向けてなだらかな下り坂になっており、その先に番場遺跡がある。その先は再びなだらかな上り坂になり砂川遺跡へと続く。更にその先は窪地になり東川が流れている。また、西から北西にかけても下り坂になっており、その先に砂川堀がある。石神遺跡も番場遺跡も砂川堀流域に面しており両遺跡とも旧石器時代の遺跡だそうだ。また、写真でも分かるように、このあたり一帯は畑であり、「自然の地形が壊されずに古代のままで保存されている。」と門内さんが説明してくれた。
縄文時代の人々が暮らしていたこの場所に立ち、多少汚れているかも知れないが、同じ空気を吸っているとは、何と感動的なことか!

番場遺跡から南に向かって歩くこと7~8分で砂川遺跡に着く。
●砂川遺跡

砂川遺跡は、所沢市ではじめて発見された旧石器時代の遺跡で、その年代は約13,000年前と推定されている。
昭和41年に明治大学考古学研究室が、48年に所沢市教育委員会が発掘調査を行った。
発掘された石器は、旧石器時代の集団の規模や移動の実態を知る上で画期的な成果をもたらし、国の重要文化財に指定されている。現在、明治大学考古学博物館が所蔵している。(所沢市教育委員文化財保護課作成資料より抜粋)

【主な出土遺物】
旧石器時代のナイフ形石器を主体とする769点の石器(国指定重要文化財縄文時代の土坑1奈良・平安時代の住居1など)

雨が本降りになってきた。私たちは稲荷神社の木陰で雨宿りをしながら、目の前にある「庚申塔」と「三山百番石橋供養塔」の説明を門内さんから聞いた。
その後、妙善寺へ行ったが、雨も止みそうもないので、バス亭「大日堂前」まで行き解散した。バスで小手指駅に向かった連中は冷えた身体をビールで温め帰宅した。                   

【交通アクセス】
西武池袋線小手指駅南口バス停2番から早稲田大学行バスに乗車し「誓詞橋」または「所沢ロイヤル病院前」下車 「小手指ヶ原古戦場跡」まで徒歩7分
【散策時間】
2時間30分(説明時間を含む)