オリエンテーション②

グループワーク2日目
大河原さんの提案で門内さん(先生の要望で今後「さん」呼びにします。)、大河原さん、小島さん、甲斐さん、岩永さん、竹茂さん、それに企画委員の高木、甲田8名で、2時より事前打ち合わせを行うことになった。

●事前打合せ内容
1.テーマの確認:
1)旧石器、縄文、弥生時代の遺跡を探る。
2)古代、中世の所沢の道と町の発達を探る。
3)上記を基に文化財と自然を楽しむ散策コースや解説についてのオリジナルのものを作成する。
2.スケジュールの確認:
当初の予定どおり実施する。
門内さんは都合のつく限り出席して下さる。
●グループ・ワーク
1.前回の補足説明(門内さん)
古代には、大宝律令(701年)の制定により、現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部が武蔵国とされ国衙が現在の府中市に置かれた。都と国衙を結ぶ官道が整備され、都の制度や仏教文化が各地にもたらされた。上野国府(現在の前橋市)から武蔵国府を結ぶ官道を「東山道武蔵路」と云い、所沢市内では南陵中学校(東の上遺跡内)で見つかっている。
中世には鎌倉街道「上道(かみつみち)」がとおり、狭山、入間、川越へ向かう要所として「宿」の様相を呈していた。

近世の江戸時代には青梅から田無を通って江戸に至る青梅街道が成立する中で、所沢から田無に抜ける道が整備された。現在の旧町地区あたりは南北を通る「鎌倉街道」と秩父と江戸を結ぶ東西の「江戸道」が交差し、鎌倉街道沿いの民家は次第に江戸道沿いに移り、街道町が形成されるようになった。また、江戸城で使用された御用炭は秩父で生産され、荷馬で江戸に運ばれたことから、所沢は継ぎ立ての中継地として人・物が集散する場所となり、「市」が開かれ、やがて「二・八市」へと拡大し、地域経済の中心として発展を遂げた。
2.次回スケジュール
4月16日(水)所沢埋蔵文化財調査センター見学(14:00集合)
4月26日(土)所沢埋蔵文化財調査センター~早稲田大学所沢キャンパス方面に向って踏査(所沢埋蔵文化財調査センター13:00集合)