2008年6月30日(月)晴れ
所沢駅東口13時30分発「大宮行き」バスに乗り約20分、「学校前」で下車。今日は三芳町教育委員会の松本さんに案内していただくことになった。●三富新田(さんとめしんでん)
↑【上富小学校屋上より上富新田を望む】
三富新田は、江戸時代の元禄期に開拓された所沢市中富・下富と入間郡三芳町上富の総称である。元禄7年(1694)に川越藩主 柳沢吉保の命により開拓された新田(すべて畑地)である。1戸当たりの間口は40間(約72.7m)、奥行き375間(約681.8m)、面積5町歩(15,000坪=約49,500㎡)を基準とした。道路に面した表口を屋敷地とし、ケヤキで外周を覆い、屋敷の後方を短冊状に区割された耕地、最後部がナラやクヌギを植えた平地林とし、ここから燃料の薪や肥料用の落葉・下草を確保していた。
なお、元禄9年(1696)の検地による屋敷の戸数は、上富83戸、中富39戸、下富48戸の計170戸。この整然とした地割と景観は現在でも良く残され、1962年には、旧跡として埼玉県指定文化財に指定されている。
松本さんとは旧島田家の前で別れ、我々は多福寺へ向かった。
●多福寺
境内には元禄の井戸や県指定文化財の銅鐘、三芳町指定文化財の穀倉などがある。
江戸時代に書かれた古文書によると、延暦24年(805)坂上田村麻呂が北国遠征の際、武蔵野で道に迷ったところを地蔵菩薩に助けられ、その加護に感謝し、地蔵堂を建立したと伝えられている。
現在の地蔵堂は安永6年(1777)に再建されたもの。
地蔵堂は間口6間、奥行き7間の方丈造りで、主用材の殆どにケヤキを用いている。
木ノ宮地蔵は縁結び、子授け、子育てのお地蔵さまとして今でも多くの人から信仰されている。
境内には、奥の院、雑木林の中を大井町亀久保方面に続く地蔵街道、泥棒地蔵、三富開拓地割遺跡、甘藷の碑などがあり興味つきない。
帰りは、「多福寺」バス停より16時50分発のバスで帰宅した。
バスは1時間に1本程度であり、その上、道が狭く交通量が多いため、遅れがちなので注意したい。
【参考文献:所沢市史。三芳町教育委員会資料】