多聞院寅祭りと三富地区を歩く

5月晴れの清々しい日である。今日だけは、航空公園駅前から所沢市観光協会の無料送迎バスが多聞院まで運行されている。13時発のバスに乗車した。バスの中は老人男女でかなり込んでいた。乗車時間は30分弱である。
バスを降りるとお囃子の音が聞こえてきた。音の方へ向かってゆくと子供の御神楽が私たちを迎えてくれた。
今年は暖かいせいか牡丹の見頃は過ぎていた。話によると4月中旬ごろが見ごろだったそうである。
◯多聞院毘沙門堂
三富開拓農民の祈願所とするため、柳沢吉保の命により元禄9年 (1696年)に毘沙門社として創建された。多聞院は本尊に大日如来を安置している。毘沙門堂の本尊は、像高一寸四分(約四センチ)の金の毘沙門天で、武田信玄の守り本尊であったと伝えられている。信玄は、これを兜の中に納めて戦場に出ていたので、その加護により川中島の戦いで上杉謙信の刀から危うく逃れたと伝えられている。武田家滅亡後、武田家遺臣の血を引く柳沢吉保が入手し、毘沙門堂の本尊として祀った。

☆大般若転読法会
玄奘三蔵 が17年がかりでインドから経典を持ち帰り、翻訳された大般若経600巻の転読法会。大般若転読法会では、本尊「十六善神」の掛け軸を掲げて無病息災の護摩が焚かれる。
この日は近隣の真言宗豊山派の寺から僧侶が手伝いに来るそうだ。
ほら貝を吹く僧侶を筆頭に大勢の僧侶が毘沙門堂に入り、転読する光景は圧巻である。
☆狛寅

多聞院の境内には(狛犬ではなく)左右一対の阿形・吽形のトラの石造が置かれている。トラは多聞天(毘沙門天)の使い、または化身とされている。

☆身代わり寅
大きさが7cmほどの可愛い寅。
毘沙門堂には、毘沙門天の化身であるこの寅に災いを託して納める習慣がある。






☆鬼の寒念仏像
寒念仏は、寒中30日間寒い夜に諸所を巡りながら鉦を叩き念仏を唱える行で、元来、僧侶の一つの修行である。
この像は、左手に「奉加帳」をもち、背中に「傘」を背負っている。加護帳には夜泣きの子供の名前が記録されているそうだ。
家々をまわっては、母子の健康・安産・家内安全を祈願しているとのこと。
鬼にしては優しい心の持ち主である。そういえば、どことなく慈悲に満ちた愛嬌のある像である。




☆鬼の悟り
人間への教訓として我慢の大切さを説いている。









☆神明社
宝暦11年(1761)に建立。通称「富の神明様」と呼ばれている。
祭神は天照大御神、応神天皇、倉稲魂命他である。明治時代末に富岡村内の村社を合祀したもの。
☆甘藷乃神
川越芋作りを始めて255周年を記念して、平成18年に甘藷乃神(イモノカミ)として神明社の隣にお祀りすることとなった。
狛犬の前足を乗せているのはさつま芋。細かいのは、芋には葉っぱと蔓がついている。
社前のさつま芋のオブジェは「なでいも」と呼ばれていて、撫でるとご利益があるそうだ。そのせいか上部がピカピカに光っている。なお、元日~2日にお参りをすると焼き芋が配られるとのこと。




☆半僧坊(ハンソウボウ)大権現の社
半僧坊とは「天狗のような顔をして、半ば僧の顔をしていた」ことからそう呼ばれたそうだ。大元は、臨済宗大本山方広寺で鎮守の神として、半僧坊大権現が祀られていた。
半僧坊信仰は、半僧坊のご利益が絶大で、厄難消滅、海上安全、火災消除、良縁成就などの権現として明治以降、信者が全国に広がったという。
ちなみに、半僧坊は大男で一晩のうちに山を渡り歩くことができたとのこと。住職の話では、内容は別として実在した人物だと云っていた。




◯三富の畑と農家
畑は乾ききっていた。畦道を歩くと細かな茶褐色の土が人の身長を越えて舞い上がる。そんな中、雉に出会った。雉は悠然と畑の中を横切り境界林の中へ消えた。
人家のあるところに来ると、そこは樹齢100年以上もあるかと思われる巨木に囲まれた
屋敷である。畑の中と違い、涼しく砂漠の中のオアシスのような存在である。
◯砂川掘の跡
大河原さんの話では、彼の祖父母が嫁に来た頃は、ここで洗い物などをしていたそうだ。昭和初期の頃だろうか?
今では、長さ約1.8メートルの石橋はそのほとんどが土に埋まり、辛うじて川に掛かっていた橋の痕跡を残すにとどまっていた。
◯三富の長屋門と医師の家
当家は江戸時代より数代にわたり漢方医を務め、後に西洋医学の医師を務めていた。当主の祖父の代には長屋門は蚕室として利用していたそうだ。現在は農業を営んでいる。






◯若山牧水歌碑
歌人の若山牧水は宮崎県出身だが、祖父の若山健海は現在の所沢市神米金で生まれた。健海は医師を目指して長崎で学び、その後宮崎県で医院を開業した。牧水が3歳のときに、健海は他界したが、明治37年(1904)牧水が早稲田大学に合格し、上京した際にこの地を訪れた。
この歌碑は、牧水の没後50年にあたる昭和53年に、若山家の敷地に建てられたものである。


  のむ湯にも 焚火の煙 匂ひたる
       山家の冬の ゆふげ なりけり

【主要な部分は、大河原功氏の現地案内及び資料に基づき作成しています。】