狭山不動尊と狭山観音霊場巡り

日 時:2010年1月9日(土)(晴れ)
コース:西武球場前駅10:30集合
狭山不動尊→山口観音(金乗院)→狭山湖東屋(昼食)→狭山湖堤防→六斎堂→正智庵跡→中氷川神社→勝光寺→来迎寺→桜渕地蔵尊→下山口駅
西武球場前駅を下車する。今日は西武ドームで青空マーケットが開催されているため駅前の広場は結構な人である。
駅前の信号を渡ると、そこが狭山不動尊である。初詣の客もちらほら見かけ、一帯はまだ正月気分が残っている。
○狭山不動尊
正しくは狭山山不動寺と云う。宗派は天台宗。開基は西武グループ。開創は1975年であり、本尊は不動明王である。
西武グループが建てた寺で、1951年に増上寺にあった台徳院霊廟の門や燈籠を始め、各地の由緒ある建物を移築したのが始まりとのこと。
本堂は、東本願寺から移築したが建物が不審火で焼失してしまい、現在は鉄筋コンクリート造りである。しかし、他のお堂は全て各地の由緒ある堂塔を集めて構成されている。

☆勅額門
1632年建立。

東京都芝増上寺の徳川家台徳院霊廟(徳川秀忠の廟)から移築。




☆御成門


1632年建立。

東京都芝増上寺の徳川家台徳院霊廟(徳川秀忠の廟)から移築。

飛天の彫刻や絵画が多く描かれており、朝鮮渡来の天人門と云われている。寛永9年三代将軍家光公が着手建立し格天井の中央に丸い鏡天井が設けられ珍しい特徴を持っている。


☆総門より本堂を望む。

本堂は、東本願寺から移築した建物が不審火で焼失し、現在は鉄筋コンクリート造りである。周りの歴史的建造物とは不似合いである。


☆第一多宝塔

弘冶元年(1555年)大阪府高槻市梶原の畠山神社に美濃国林丹波守が建立したと伝えられていたが、上層屋根の隅木の墨書から桃山時代の建立であることが明らかとなった。昭和36年(1961年)に当境内に移築。








☆弁天堂(六角円堂)


近江清涼寺(井伊家菩提寺)から昭和23年に移築。万治2年~元禄6年の建築とされる。本尊は上野寛永寺現龍院から遷座した仏像。


☆大黒

大和極楽寺歌塚堂を昭和38年移築。柿本人麻呂ゆかりの堂と云う。

本尊大黒天は上野寛永寺見明院から遷座した仏像。



☆羅漢堂と唐金灯篭群

羅漢堂は昭和28年に港区麻布井上馨邸より移築。
羅漢堂山門は昭和29年に虎ノ門田中平八郎邸の門を移築。
唐金灯篭群(青銅製)は東京都芝増上寺の旧台徳院霊廟から移設したもので、もとは諸大名が寄進したもの。
唐金灯篭群を右に見て「桜井門」から外に出た。
急な坂道を登ると、朱塗りの八角形の五重塔が目の前に現れる。
山口観音の千体観音堂である。
○山口観音(金乗院
山口千手観音は真言宗豊山派の寺で正しくは吾庵山金乗院放光寺という。
狭山三十三観音霊場の第1番札所であり、武蔵野観音霊場第13番札所である。
また、七福神の中でただ一人実在したと云われているのが僧侶の布袋であり、今から450年ほど前に中国から招来した。
中国で造られた御堂が昭和57年に完成し、その中に布袋尊が祀られている。(武蔵野七福神) 寺伝によれば、この寺は聖武天皇の勅願により行基が本尊の千手観世音菩薩及び脇士の不動明王、毘沙門天を造像。
開山は弘仁年間(810年から824年)と伝えられている。
御本尊の御開帳は33年に一度のため、裏観音様は常に御開帳されている。 
また、新田義貞が鎌倉攻めの際、ここに立ち寄り戦勝の祈願をしているといわれ、伝新田義貞祈願文が伝えられていて、元弘三年庚申五月十五日の日付と義貞の花押が書かれているとのこと。
十間四面の本堂には、絵馬や天井一面の墨絵の龍など貴重な文化財が沢山ある。
ネパールから取り寄せたと云う108個のプレインベルがぐるりと本堂を囲む。手で回しながら本堂を一周すると御利益があると云われている。

▲狭山湖畔

写真には映っていないが、湖の向こうに富士山が薄っすらと見えていた。
狭山湖を後に西所沢駅に向かって歩く。道幅は狭く、その割に自動車の往来が激しい。私たちは1列になり歩いた。
○六斎堂
狭山観音霊場第3番札所。お堂の中に小さな聖観世音菩薩が鎮座している。
子育て観音として栄えたそうだ。
お堂に向かって右側面に古餞で作られた「観世音」の額が飾られていた。



○正智庵
狭山観音霊場第4番札所。
臨済宗妙心寺派で本尊は十一面観世音菩薩である。
大木の奥にひっそりと東屋のような庵があり、明治12年に建てた石像の十一面観世音菩薩が鎮座、それを挟んで両側に石仏が建っている。無住の札所である。





○勝光寺
狭山観音霊場第5番札所。
札所本尊は白衣観世音菩薩。
この寺は弘安元年(1278年)北条時宗により創建された臨済宗妙心寺派の寺であり、中興、東山天皇より賜る論旨を寺宝としている。
山門は元禄7年より同9年(1694~1696年)にかけて建立した楼門で、市内における唐様の白眉と云われる美しい建物である。