所沢の民話

〇「さつまいも」のはなし
ある晩秋の夜のこと、家の門の外で猫の鳴き声が聞こえていました。
「どうせ、捨て猫だろう」と思いながら家の人はみな、眠りに就きました。
あくる朝、突然「だんなさん、だんなさん大変です。」と家の奉公人が大声を出して、飛び込んできました。
「大変です。夕べから鳴いていたのは捨て猫じゃないんですよ。捨て子です。それも赤ん坊なんですよ。」
とあわてて知らせに来たのです。
門の外に出てみると、かごの中に布に包まれた赤ん坊が捨てられていました。
「かわいそうに、寒かったろう。」
と、かごから抱き上げると、一晩なにも食べず寒さの中にいたわりには元気で、にこにこと笑顔を見せていました。
「良かった!こんなに元気なんじゃ。良かった!」
とだきすくめると、赤ん坊の手元になにやら堅いものがありました。
赤ん坊の手から取り上げてみると赤ん坊のかじった跡があり、そこから、お乳のような白い液がにじみ出ていました。
「こりゃいったいなんだ。」
「これをかじってたんで、この赤ん坊は元気だったんだね。」
「お腹すかさなかったんかね。」
と、見たこともない根っこが太ったような植物にみんなびっくりしていました。
赤ん坊は、この家の家族の面倒の良さもあって、とっても元気になつていきました。
しばらく経ったある日のこと、この家に巡礼姿の女の人が訪ねて来ました。
実はその人は、赤ん坊のお母さんだったのです。
「巡礼をしながら赤ん坊を育てるのは難しく、門のある大家(お金持ち)なら、きっと赤ん坊を育ててくださるに違いないと思い、捨て子をしました。しかし、捨ててしまってから、罪なことをしたと後悔しまして、こうして、子どもを引き取らせていただこうと思い参りました。」
と言っただそうです。
「どんなに大変でも、子どもは実の親に育てられるのがいちばん。」
と、赤ん坊を母親の手に渡しました。
しかし、不思議なのは赤ん坊があのとき手に持っていた根のような物です。
巡礼のお母さんにそのことを尋ねると、
「はい、私は四国の出身のもので四国ではこれを「さつまいも」と言いまして、栄養分の高い作物で、お乳が少なかったり、病み上がりの人や老人などは、これを食べるととても元気になるのです。」
と言いました。
「さつまいも?これは、いま江戸で救乏の作物として評判の蕃諸のことか。」
と言うことに気が付いたそうです。
これがきっかけで、なんとかこの付近でも「さつまいも」を作りたい。ということになって、上総国志井津村から種芋を手に入れ、この付近に広めました。
後に、この付近で採れた「さつまいも」は、川越から船で荒川を下り江戸に運ばれ、「川越いも」として江戸庶民の間で喜ばれ食されたそうです。
【甘藷の神】三富の多門院境内

〇滝の城の大蛇
滝の城はハ王子城の支城だったので、小田原が落ちるときに、滝の城も攻められました。ところが、滝の城には大蛇がいたので、どうしても攻め落とすことができなかったそうです。そこで敵方では一計を案じて、柳瀬川の向こうの下宿(現在の東京都清瀬市)に舞台を作ってお神楽をあげました。
それで、その場所は今でも舞台(ぶたい)という地名になって残っています。
大蛇は、お神楽があんまり賑やかだったので、穴から顔を出してそれを見ていました。その隙を狙って、敵方の弓の一番上手な人が矢を射掛けました。矢は大蛇の首に命中し、大蛇の頭は吹っ飛んで南永井の方に落ちました。それで頭の落ちた場所を、射頭(南永井の井頭)と呼んでいます。
また、射られた矢は滝の城のそばに落っこちたが、その場所は矢崎(城の矢崎)と呼ばれています。
首をなくした大蛇は、新座市の大和田の方にある深い沼地へはっていって、そこで動けなくなってのたれ死んだそうです。そこで、その場所を頭無(かしらなし)と呼ぶようになったそうです。
【写真は滝の城本丸跡付近】