武蔵野の逃水について

所沢の逃水について、こんなメールが届きましたので、以下に紹介します。
小生(投稿者)が思う、「齋藤鶴磯のいう武蔵野の逃水」の写真です。
中央を道路が走り両脇が屋敷林と畑で、人間の背丈より若干高めの靄がこれに沿うように発生していました。
今年(2010)の5月で、前日にたっぷり水分を吸った林や畑、暖かめで風のない翌朝に林や畑から靄としてこのような現象が発生したようです。
近所の人の話では、朝から自動車が通らない静かで風もなく、地面の中が少しあたたかめで地上で冷やされる気象条件で発生するのではとのことでした。小生の近所の隣村(大野原村)の初老の話である。”【写真は中富地区付近】
〇「逃水」のはなし
夫婦の名は藤兵衛とお安、二人は朝早くに麦畑の中の道を急いでいました。
所沢新田のお稲荷さんの森を左に見て、留め(富)の原の真ん中まできて、夫婦は思わず目をこすりました。不思議です。一体どうしたことでしょう。前の方にこうぜんとして、大きな河か沼のようなものが出現したのです。
その水はかなり広くて、深いらしく、前から来る旅人らしい者の腰から下が、水に隠れて見えません。瞳をこらすと、何やらもそもそと、裾を高くはしょっている様子です。
「お安、これは一体どうしたことだ。所沢の村はずれに河のあることは知っているが、留の原に、河や沼があるっていうのは聞いたこともない。」
「本当だよ。去年お参りした時もちょうどこの時刻だったが、こんな所に河なんかありませんでしたよ。」
「この間、与助が来た頃、そんな話は出なかったなあ。」
「でもおかしいわ、水の音も聞こえない、きっと水溜りでしょうよ。」
「水溜りといったって、きのうも、おとといも、雨なんざあ降らなかった。」
「でも、夕立は馬の背をわけるというから・・・。」
「とんでもない、足元を見なさい。ほこりが舞い上がっているよ。」
「じやあ、道を間違えたかしら?。」
「ふん、ばかな・・・。目をつぶったって歩ける道だよ。ほら見なさい。あれが与助の家の森だよ。ま、行ってみよう・・・。
今まで見たことも聞いたこともない事実に、二人は薄気味が悪そうに歩き出しました。10メートル、50メートルと進んだ時、藤兵衛は思わず目をむきました。歩くにしたがって、河や沼もどんどんさがります。歩いても歩いても距離が詰まりません。天変地異とは、このような時に使うことぱでしょう?お安は女です。がたがたと震えています。
「河が逃げる。沼が逃げる。こりゃ一体どうしたことか?」
藤兵衛は、お安の手を引っ張って、今来たほうへ、かけ戻りそうになりました。
ところが、不思議はもう一つ重なりました。前から来る人の足元が見えてきたのです。着物の裾を、高々と上げています。が、あれだけの河や沼を渡って来たにしては、少しも濡れていません。やがて、自然のいたずらに振り回された三人は、近づいて顔を見合わせました。
そして、いい合わせたように足もとを見合います。
「お早ようさん」まず藤兵衛が声をかけました。
「お早ようさんで・・・」と、返事は返されましたが、あとは声になりません。そのはずです。心の中では共に、もしや、きつね、たぬきかと、疑っているからです。
藤兵衛は、下腹にぐっと力を入れました。
「つかぬことをうかがいますが、向こうの沼は深うございますか?、それとも河でございますか?」
「とんでもない。沼や河なんて・・・。水など一滴もありませんよ。それより、あなたさんの越して来なすった河はどうなんで?」
「わしが来た河ですって?」 藤兵衛は、後を振り返って驚きました。
あります河が・・・?沼もあります。確かです。今来た道は、そのまま沼にのまれています。
なんとふしぎなことか・・・? 水のない河が流れている。水のない沼が光っている。水のない河を越してきた。どっちもまた、半信半疑です。
その時、静かな春の朝の空気をふるわせて、鐘が響いてきました。多福寺の、明け六つの鐘(六時)です。
その鐘を合図のように、太陽がまぶしく光りだしました。すると、どうでしょう。「もや」が消えます。河が消えます。沼がだんだん姿を消していきます。三人は、呆然と、立ちすくみました。あまりのことに、三人が身を震わせていると、十徳姿(じゅっとくすがた)に宗匠頭巾(そうしょうずきん)の中老の人が、にこにこと近づいてきました。
声もなく、消え行く水を見つめている三人に向って、その人はいいました。
「どうなすったね。どこかかげんでもお悪いかな?」
三人は口々に、今までの不思議なことを話しました。老人はうなずくと、笑いながらいいました。
「まこと三人さんは、毘沙門天様のご利益を受けなさった。本当によいものを見なすった。わしゃあ所沢村の倉片さんに居候している斎藤鶴磯という物書きだがな、今皆さんの見なすったのは、逃水というてな、古くから武蔵国に語り伝えられている、見ようとしても、なかなか見られないものですよ。」
「へええ・・・その逃水っていうのは、いったいなんでございます?」
「それは春の「もや」と、風のいたずらでな・・・」
鶴磯は逃水の理由を話して聞かせました。そして言葉を続けました。
「本当に、皆さんは運が良かった。逃水はいつでも、誰でも見られるものじゃないでな。わしも春になると、こうして朝早く歩いて、是非一度見たいと思っているのに、一度も見られず、もう十年も過ぎましたんじゃ。留の方のお百姓さんが、大野村にちょくちょく出るというので、今朝その近くまで行ってたのだが、やっぱり見ることができず、あきらめて引き返そうとしていたのに、ここで逃水に出っくわした。皆さんに出会って、やっと得心(とくしん)することができましたよ。これでわたしも、所沢に住んだ甲斐がありました。皆さんは本当に運の良い方じゃ、きっとよいことがありますよ。」
「運がいいなんてとんでもない。気味が悪い思いをしただけですよ。」
「そうですとも、私たち百姓には、逃水なんて結構なものとは思いません。」
「逃水だとさ、変なものに出っくわしたもんだ。さあ、お安、与助も持っている。早く行こう。とんだ道草を食ってしまった。」
「では、御免ごめんください。」
きつねにでもつままれたような気持ちで、三人は鶴磯と別れました。日はもう高く上りました
「逃水は、皆人の知るところなれど、その実現を知らずして語れるもの多し。むさし野中の人も、逃水はあってもなくても百姓にはかかわらぬ事ゆえ詮索する者さらになし・・・・」
逃水は、その時を最後に、武蔵野のどこにも永久に見られなくなって、伝説のベールの中にあるそうです。
【資料提供:大河原功氏】