所沢旧町めぐり

日  時:2011年3月25日(金)12:50(集合)
集合場所:中央公民館
コース:齋藤家(明治天皇行在所)⇒坂稲荷神社⇒川端霊園(棋士福泉藤吉の墓)⇒庚申堂⇒旭橋⇒港屋質店⇒盃横町⇒元錦糸商秋田家⇒海老屋横丁⇒薬師寺

東北関東大震災が3月11日(金)に発生し、丁度2週間が経過した。
被災地も非難生活から復興へと動き始めたが、福島原子力発電所の事故により放射性物質が飛散し、東北から関東地方にかけて栽培されている野菜類、源乳等の出荷制限が行われている。
最近では水道水から放射性物質が検出され一部の地域では摂取制限が加えている。その上、東京電力による計画停電により各地で停電が現在も続いている。
本日の旧町めぐりは中央公民館事業として地元ボランティアが案内することになっていたが上記状況から中止された。
しかし、折角計画したものであることから、3班が中心になりガイドすることで、本日の実施となった。
参加者は約16名。晴れている割には寒い午後であった。

〇齋藤家の店蔵造りと明治天皇行在所
明治16年(1883)4月、明治天皇は飯能近くで挙行された近衛連隊春季小演習天覧のため行幸された。その際に、齋藤与惣次宅に御休泊された。所沢市文化財に指定されている。



〇坂稲荷神社
祭神は宇香御魂令(ウカノミタマノミコト)。寛政年間(1800前後)の創建で京都伏見稲荷より分祀された。社殿装飾絵は江戸末期の南画家三上文筌の作。



〇川端霊園(棋士福泉藤吉の墓)
所沢が生んだ将棋名人福泉藤吉の墓(将棋盤に墓石が乗っている)と重松流祭ばやしの始祖古谷重松の墓がある。




〇庚申堂

庚申堂には青面金剛が祀られている。3基の庚申塔と1基の六十六部供養塔がある。



〇港屋質店
明治33年に建てられた2階建ての店蔵の造りである。外観は軒を3重の蛇腹と出桁(だしげた)で飾り、窓には観音開きの土戸を設けている。下屋は垂木を黒漆喰で塗りこめ、両脇に立派な戸袋を配している。
内部の造作は、全てケヤキ造りで、ひときわ目に付く2尺×1尺の人見梁や箱階段、鉤の手に造られた戸棚などが大変立派だそうだ。門はケヤキ造りで瓦葺の立派な「腕木門」である。

〇秋田家
もと、錦糸商であった秋田家には店蔵と傾斜して造られた屋敷塀が建てられており、3階建ての蔵もみられる。




〇薬師寺
応永20年(1413)新田義宗公の持仏の薬師如来を本尊として安置している。慶長19年(1614)には久米村永源寺第6世孝山大舜の隠居所となり、臨済宗から曹洞宗に改められた。
薬師寺には所沢市指定文化財の大智度論(タイチドロン・全百巻からなる般若経の注釈書)も保管しており、境内には新田義宗終焉の地の碑と江戸後期の所沢の女流俳人三上理恵女の句碑がある。
また、ねづみにまつわる「ねづみ薬師」という伝説が残っている。

【参照文献:ところざわのマチ案内板】《担当:3班》