雑司ヶ谷七福神めぐり

日  時:1月14日(土)12:30所沢駅集合
出席者数:18名

家を出るときに、いつの下見かと聞かれた。
多分、遅い時間に家を出たので、来年の七福神の下見に行くのかと思ったのだろう。
風は弱いが矢張り真冬である。周りの空気が頬をさす。
雑司ヶ谷七福神めぐりは、町おこしのために2011年初詣よりスタートしたもの。
このため、七福神の神々の中には御影石で造られたものや金ぴかな新しいものも見受けられ、歴史の浅さが印象的であった。
私たちは池袋駅から鬼子母神に向かって歩いた。
◇福禄寿(仙行寺)
福禄寿は幸福・延命の神。
当寺院は、江戸時代初期の創立。小石川白山にあった善行院と隣接の仙応院が合併して仙行寺と改称。戦災により全堂宇を焼失したが、石造淨行菩薩のみが残った。
木彫り妙法福寿像を安置している。
◇布袋尊(中野ビル前)
財福・円満の神。
中野家は大阪城の石材供給地小豆島の出身。7代目は布袋尊を護持し、皇居の二重橋や国会議事堂等の石造建築を手掛けた。
尊像は戦火を被ったが、現在は池袋復興のシンボルとして地域に親しまれている。
◇弁財天(観静院)
学問・芸術の神。
昔は一面の梅林であった。中に天神堂があり、加藤清正はご神体を供奉し、文禄・慶長の役を全うする。
後年尊像はこの地に還るが、元の梅林は拓かれ当院が創設された。
芸事上達祈願の神、弁財天を祀る。
◇大黒天(雑司ヶ谷鬼子母神)
開運・福徳の神。
拝殿、相の間、本殿からなる豪壮なお堂が深い木立の中にどっしりと構え、江戸後期には将軍のお成りもあったと云う歴史と格式を感じさせる。

現在のお堂は、本殿が寛文4年(1664)徳川4代将軍家綱の代に加賀藩主前田利常公の息女で、安芸藩主浅野家に嫁した自昌院殿英心日妙大姉の寄進により建立され、その後現在の規模に拡張されている。 鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっている。
大黒堂に祀られる大黒天は鬼子母神の夫神に当たる
◇恵比須神(大鳥神社)
招福・繁栄の神。
正徳2年(1712)疱瘡除けの神として創始。以来雑司ヶ谷一帯の氏神として崇敬されている。
江戸時代から続く酉の市は雑司ヶ谷の風物詩のひとつ。地誌によれば、創始時には恵比須神が合祀されていた。
◇毘沙門天(清立院)
富貴・擁護の神。
当院は約770年前、真言宗清龍寺として創立。後に村を疫病から救った雲水が日蓮聖人像を寺に残したことから日蓮宗・清立院と改める。

雨乞いと皮膚病の祈願寺として尊崇された。
「江戸名所図会」には「雨乞の松」として堂前に農民が集まり、干ばつのときは請雨祈願成就したとある。
現在でも境内には「請雨松」が残っている。

木彫り毘沙門天像は区指定文化財。

◇吉祥天(清土鬼子母神)
安寧・息災の神。
雑司ヶ谷鬼子母神堂に祀られている雑司ヶ谷鬼子母神像は清土のこの地から出土した。清土出現所とはここからついた名前だが、地元では親しみをこめて清土鬼子母神と呼んでいる。
吉祥天はこの鬼子母神の娘神である。
落ち葉を掃き掃除していたおばさんの話によると、昔はこの近くに小川が流れており、清土から掘り出した鬼子母神のお像を三角井戸(写真右上)付近で清め寺に納めたとのこと。写真右下は清土鬼子母神のお堂。

ちょっと、寄り道!!
◇雑司ヶ谷霊園
◇雑司ヶ谷旧宣教師館
雑司が谷旧宣教師館は、明治40年にアメリカ人宣教師のマッケーレブが自らの住居として建てたもの。マッケーレブは、昭和16年(1941)に帰国するまでの34年間この家で生活をしていた。
豊島区内に現存する最古の近代木造洋風建築であり、東京都内でも数少ない明治期の宣教師館として大変貴重なもの。
◇護国寺
護国寺は、真言宗豊山派の寺。山号は神齢山。詳しくは神齢山悉地院護国寺と称する。
徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681)に創建された。開山は亮賢。本尊は如意輪観音。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所である。

本日の責任者である小島さん、案内をしてくださった高橋さん、ありがとうございました。
池袋でコーヒー組、アルコール組、直帰組に分かれ、好みの道を選択して帰宅の途についた。

【参照文献:雑司ヶ谷七福神の会作成の案内書他】