所沢の「民話発祥の地」と「石仏」を訪ねる

日 時:2月18日(土)13:00
集 合:所沢駅西口前
参加者:24名

北風の強い寒い日である。昨夜から今朝にかけてはこの冬一番の寒さだそうだ。この風の中、家を出るのもちょっと億劫であった。
所沢駅西口を出発。ワルツ所沢店前の交差点を左折して県道337号線を南へ進む。所沢東住吉郵便局を過ぎると間もなく東住吉豊川稲荷神社がある。小さなお社なので注意していないと見落としてしまう。
〇東住吉豊川稲荷神社
東住吉豊川稲荷神社は、愛知県豊川市の豊川稲荷神社を昭和2年(1927)に勧請し現在に至っている。
守護神は「豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)」。稲穂を手に白狐に乗る天女。
吒枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神であるが、日本では稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視されるに至った。
一方、神道上の稲荷神社は京都市伏見区にある伏見稲荷大社が稲荷神社の総本社となっている。

東住吉豊川稲荷神社を出て県道337号線を南へ進むと、東住吉交差点で県道4号線と合流する。西武池袋線の鉄橋の下を潜り更に南へ進むとY字路の吾妻交差点に出る。
この交差点を右手のやや細い道を久米方向に進むと左手に明治23年(1890)造立の「馬頭観音」がある。石造も小さく野原の中に立っているので見つけ難い。
〇馬頭観音
馬頭観音は六観音の一つ。一切の魔や煩悩をうち伏せる働きをするとされている、これは馬が周囲の草をむさぼるように,人間の煩悩を食べ尽くして救済するということから来ているようだ。わが国では奈良時代以降に信仰されるようになった。
六観音とは、真言宗では,聖観音・千手観音・十一面観音・馬頭観音・如意輪観音・准胝観音が六観音。天台宗では准胝観音のかわりに不空羂索観音が入る。

久米境信号を左折し4号線に出る。西武新宿線を越えて暫くすると右手に持明院の参道が現れる。

〇持明院
正しくは淵上山持明院と云い真言宗豊山派の寺院。元慶2年(878)創建。本尊は不動明王。
門前に真言塔と地蔵(宝暦12年(1762))が並んでいる。
境内を入って左手に、まだ新しい六地蔵がある。(写真右上)
よく見ると平成6年(1994)造立であった。
六地蔵とは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うと云われている。
本堂左手の曼荼羅堂(写真左)は廃寺となった亀ヶ谷普門寺の堂宇を移築したもの。曼荼羅堂の左手には宝篋印塔(ホウキョウイントウ)がある。明和5年(1768)造立である。
この寺には「河童の詫び証文」と云う伝説が残っている。
話の大まかな内容はこうだ。
”馬の腹に食いついた河童を捕まえ、持明院の坊さんに頼んで説教してもらった。河童は深く反省し今後は決して悪いことをしませんという意味の証文を坊さんに書いて許してもらった。この証文は永く持明寺に保存してあったが、その後の火災で焼けてしまったそうだ。”
この話の由来となった曼荼羅淵は、持明院のすぐ南を流れる柳瀬川の深い淵だそうだが、今ではその面影はない。

持明院参道を戻り、県道4号線を越えて東に進む。
暫くすると北東角に百番拝礼塔が4基並んでいる。
この角を左折する。
あとは、道なりに右に進むと三叉路に出る。
三叉路左手の北西側に庚申塔がある。宝暦5年(1755)の造立で道標を兼ねている。
右側面には「右ちちぶ」、左側面には「左やまとぢ」と刻まれていた。
道を挟んで反対側の北東側には延命地蔵(写真右)がある。
明治40年(1907)に再建されたものだそうだ。
直進して東へ進むと、右手に北秋津富士塚がある。鳥居、石祠、石塔が数多くある。
更に東へ進むと旧所沢街道に出る。
旧所沢街道を左折して暫くすると、左手に日月神社がある。

〇日月神社
御祭神は天照大神、月夜見命のようだが、詳細は不明である。
ここには「トンボの宿り木」伝説が残っている。
語り手により若干の違いがあるようだが、私が「歴史散策クラブで」聞いたのは次のような話であった。
”昔、秋津村に我儘で癇癪持ちの殿様がいました。
ある秋の日、散歩に出た殿様は家来に「村中にいるトンボを全部捕まえて来い」と言いました。家来は、村中のトンボを全部捕るようにお触れをだしました。
次の日の朝早くからトンボを取りがはじまり、あたりが薄暗くなる頃にはトンボはすっかり取りきったそうです。
捕まえたトンボ全部を袋に入れて殿様の前に差し出しました。
殿様はたいそう喜んで袋の中を覗きこんでいました。
と、一匹のトンボが殿様の前をスーッと飛んで行きました。それを見たとたん殿様はいつものかんしゃくを起こし、トンボの袋を近くの日月神社にもって行き、ご神木の欅に向かって「これ、日月神社の大明神よ、本当に神の力があるんなら、今わしがトンボのかたまりをぶんなげるから、そこから違った木を生やしてみろ」と、怒鳴りながら、思いっきりトンボの袋を投げつけました。すると、ご神木の欅の股から榎木がすくすくと生え出しました。
それを見た殿様は、榎木を指したまま石のように固くなって動けなくなってしまいました。
我儘ばかりしていたので神様のバチがあたったのでした。
投げつけられたトンボはと云うと、一匹残らず川向こうの南の方へ飛んで行ってしまいました。
だから、秋津村にはトンボが一匹もいなくなってしまったのです。
以来トンボが飛んでいった村を南秋津村(現在の東村山市)、もとの秋津村を北秋津村(所沢市)と云うようになったのだそうです。”
この話に大変興味を持った私は、この神社を訪ねた。2009年7月の暑い日だった。
トンボの宿り木の御神木は青々とした葉を茂らせていた。しかし、今回訪ねてみるとこの御神木は無残にも途中から切られ、茎の上部はブリキで塞がれていた。
強風で折れたのか、あるいは雷が落ちたのか、昨年の東日本大地震の被害を受けたのか分からないが残念なことである。

旧所沢街道を左折して北へ進むと北秋津交差点に出る。この交差点を北西に進むと、右手に北秋津八雲神社がある。

〇北秋津八雲神社
創建は天保6年(1835)。
牛頭天王(ゴズテンノウ)・須佐之男命(スサノオノミコト)を祭神とする祇園信仰の神社。
7月中旬の天王様では神輿の火渡りが行われる。平成20年(2008)6月に社殿が新築されている。
境内の左手に左より石祠(明治16年(1883)造立)、稲荷社祠(昭和6年(1931)造立)、弁財天(安永7年(1778)造立)が並んでいる。
北秋津八雲神社の前の道路を北上すること約10分で所沢駅に着いた。
所沢駅に着いたのは午後4時過ぎ。
こんな寒い日は矢張り熱燗がいい。いつもの3人は「清元」に寄ることになった。
【参考資料:3班作成の資料】担当:3班