古河を訪ねる

日 時:2012.07.20
参加者:25名
〇室町幕府の政治機構と古河公方
将軍の下、中央には管領、侍所、奉公衆を地方には、鎌倉府、九州探題、奥州探題、羽州探題、守護を置いた。
鎌倉府には足利尊氏の子基氏の子孫が世襲した。これを鎌倉公方と称している。
鎌倉公方第5代の足利成氏は享徳の乱を起こして、古河御所に逃れて古河公方を名乗った。これが古河公方の始まりである。以来5代にわたり約130年続いた。

〇長谷観音
古河城の鬼門除けとして明応2年(1493)初代古河公方足利成氏が鎌倉の長谷寺から勧請したもの。累代古河城主が祈願を行った所とされている。
背丈2㍍あまりの十一面観世音菩薩立像が安置されている。
奈良、鎌倉の長谷と並び日本三長谷の一つ。
当時の本堂は、八間四面の赤塗の荘厳な伽藍であったが、明治初年の廃仏毀釈によりまったくの廃寺となってしまった。
〇古河歴史博物館
周囲を古河城出城跡の樹木と堀に囲まれた施設。平成2年(1990)に開館。
常設展示室として、「鷹見泉石と洋学」、「古河の歴史」、「古河の文人たち」の3室がある。
入館すると展示ホールのストリートオルガンを聴かせてくれた。
何しろストリートオルガンは年代物であり手動式のため、最初から最後まで同じ速さでハンドルを回さなければならない。担当したのは入社歴の浅い女子だろうか。汗を流し、息を切らせながらの作業は本当にお疲れ様でした。

〇古河文学館
古河城諏訪郭跡の中に平成10年に開館。
古河ゆかりの小林久三、佐江衆一、粒来哲蔵、粕谷栄市、永井路子などの作品などを紹介していた。また鷹見久太郎と絵雑誌「コドモノクニ」の原画なども展示していた。
しかし、何よりも印象に残ったのはイギリスの蓄音器界の鬼才E.M.ジーンの手作りで1930年頃に製作された貴重な蓄音機。
演奏は、竹針を使用したSPレコード一曲。モーツァルトのトルコ行進曲であった。
柔らかな音色が印象的!!







〇鷹見泉石記念館
鷹見泉石の最晩年の住まいを改修して公開したもの。古河藩士のために用意した武家屋敷の一つ。この建物は、寛永10年(1633)古河城主土井利勝が古河城の三階櫓を造ったときの余材で建てたと伝えられている。
現在の建物は4LKで然程広くはない。しかし、もとの建坪は100坪(現在の2倍以上)もあり、屋敷全体は現在の4倍以上あり広大なものであったそうだ。
〇福法寺
この門は江戸時代の旧古河城内の二の丸御殿の入口にあり乾門と呼ばれた門である。
明治6年(1873)の古河城取り壊しの際、福法寺の檀家が払い下げを受け、同寺に寄進・移築したもの。
この門の構造は平唐門と呼ばれる型式で両側には袖塀がつき、向かって右側には潜戸がある。
かっての古河城の姿を現代に伝える数少ない遺構である。
〇高札場跡

足利銀行の前の若野屋呉服店脇。

「史跡高札場跡」の石碑が立っている。
江戸時代に藩や幕府のおふれ書「高札」を立てた場所である。











〇杉並通り(武家屋敷
ほんの短い距離であった。ここを通り過ぎると、本日の昼食の場所「ホテル山水」に着く。昼食は既に予約をしておいた「せいろ御膳」だった。
味、ボリューム共に申し分なかった。
食事のテーブルがボランティア・ガイドさんと一緒だったお陰で、この近くに昔から続くと云う納豆屋や糀屋があることを知った。
昼を早めに切り上げて、ガイドさんの案内で両方の店に出かけた。納豆屋は「工場で作業中」の看板が掛っていたので、すぐ裏にある工場を拝見することが出来た。注文を受けてから、納豆を藁に包むと云う昔ながらのスタイルには感動した。糀屋さんも、私の帰りが遅くなると聞くと、止めておくようにと勧めた。暑さで発酵が進むからと云う理由だ。人情味のある優しいお店であった。でも、せっかく来たのだからと云って土産に一包み買って帰った。

〇隆岩寺
徳川時代最初の古河城主小笠原秀政が、岡崎三郎信康の菩提のために開基した寺。信康は徳川家康の長男で小笠原秀政夫人の父に当たる。
信康は、織田信長の命により母の築山御前とともに命を奪われた悲運の人。境内には信康の供養塔がある。

〇篆刻美術館

篆刻とは、方寸(一寸四方)の石の上に篆書と呼ばれる書体で古代の漢詩などからとった言葉を刻んだ書道芸術である。
篆刻美術館は、日本で初めての篆刻専門の美術館として平成3年(1991)に開館した。
建物は、大正9年(1920)に建てられた石蔵を改修した由緒あるもの。
平成10年国登録有形文化財に指定。

                
                                                    






〇永井路子旧宅
永井旧宅の店蔵部分を改修し平成15年に開館。
永井路子が住んでいた当時に近い状況に復元した店蔵は、江戸時代末期の建造と云われている。古い商家の趣を残している。
ちなみに、永井路子が古河に住んでいたのは高校時代までの19年間。
当旧宅は東日本大震災の被害をうけ、現在修復中のため入館は出来なかった。ガイドの話ではこの8月1日に再開するとか。残念であった。


左上【窓越しに室内を撮影】           右上【庭越しに旧宅を撮影】

〇正定寺
江戸時代初期、家康、秀忠、家光の三代に仕えた古河城主土井利勝の開いた寺。
土井家歴代の墓所となっている。
また、四代将軍家綱の母お楽の方の供養塔、芭蕉塚などがある。
写真はピンボケだが、1枚しか撮っていなかったので掲載した。
予定通り3時には古河歴史散策は終了した。朝10時から昼食時間を入れ5時間の歴史散策であった。5時間のコースを選ぶのは珍しいと古河ボランティアガイドさんが云っていた。ガイドのみなさんも非常に丁寧に且つ熱心に説明をして下さった。心より感謝いたします。
私たちは駐車場に待たせておいた市の福祉バスに乗り帰途に着いた。

                     【参考文献:古河市観光振興課刊行物他】