浅草寺大絵馬展・伝法院庭園と仲見世界隈を散策

日  時:3月28日(木)
参加者数:15名

今回の大絵馬寺宝展と伝法院庭園拝観は東日本大震災の義援活動の一環として浅草寺が期間限定で行っている貴重な催しである。
〇浅草寺の寺宝・大絵馬展
浅草寺の本尊「聖観音菩薩」を祀る本堂には、古くから観音信仰の証しの一つとして絵馬が掲げがれた。江戸時代に入ると多くの絵馬や奉納額を掛けられた。奉納願主の依頼により、当代一流の絵師が筆をとった大絵馬は観音参詣者の眼を惹きつけた。
現存する浅草寺の絵馬・扁額は約250点で、五重塔の絵馬堂内にその内の主要な作品が保存されている。
中でも、浅草寺を祈願寺として庇護し、信仰の篤かった徳川将軍家、その二代将軍秀忠や三代将軍家光が寄進した華麗な金蒔絵仕立ての「双神馬の絵馬」をはじめ、江戸歌舞伎の始祖と云われる猿若(中村)勘三郎の二代目が寛文4年(1664)に奉納した「猿若人形絵馬」、高嵩渓の畳み四畳を越す「猩猩の舞」などは必見。
←お水舎にある龍神像のオリジナル


☆徳川2代将軍秀忠が寄進した双神馬絵馬
☆徳川3代将軍家光が寄進した双神馬絵馬
盤石な徳川幕府を確立した家光だが、父秀忠を慮ってか秀忠寄進の絵馬よりも一回り小さい絵馬を寄進していた
☆猩々の舞(高嵩渓作)                  
☆猿若人形絵馬(二代目猿若(中村)勘三郎奉納)
  (寛文4年の作で浅草寺に保存されている絵馬の中で最も古い)
☆楠公桜井の別れ(長谷川雪旦作)
☆五条橋の牛若丸と弁慶(狩野一信作)
☆関羽(鳥居清元(二代)作)
〇伝法院
浅草寺の本坊。安永6年(1777)建築の客殿・玄関や明治4年(1871)築の大書院、浅草寺貫首(かんす)大僧正の居間などがあり、「伝法院」はこれらの総称。もとは観音院、智楽院などと称したが、元禄(1688~1704)以後この名が付けられた。
○伝法院庭園
寺伝によると、寛永年間(1624~44)に幕府の作事奉行を勤め茶人としても有名であった小堀遠州によって築庭されたと云われている。約1万平方メートルものこの庭園は、回遊式庭園であり、池には放生された鯉や亀などが泳ぎ、木々には野鳥が集まり、賑わう浅草にあって閑寂な佇まいをみせてくれる。また、江戸から明治までは法親王ご兼帯寺の庭ということで秘園にされていた。
都内でも有数の文化財を後世に残していくべく、平成23年9月21日に伝法院庭園が国の名勝に指定された。
〇仲見世通り
☆雷 門:
昭和35年松下電器産業(現パナソニック)の社長松下幸之助が寄進。
雷門は慶応元年の火災で焼失し、その後95年間雷門はなかった。
雷門はその守護神である風神(右)と雷神(左)の像があり、昔は風雷神門と云っていたが、何時の頃からか、雷門と云われるようになった。
提灯の下には金龍山に因んで龍の彫刻が施してある。(下中央)
門の背面には東側に天龍(男)(上右)、西側に金龍(女)(上左)が奉安。
☆常盤堂:
雷門左横にある。創業250年の「雷おこし」の老舗。
雷おこしは家を起し名を起すと云われ縁起物として売られたのが始まり。
実演・販売あり。カップ入りおこし1個100円はお勧め。
☆大海屋:
仲見世通り。浅草寺に向かって右側。雷門近く。
おぼろ昆布の実演・販売あり。おぼろ昆布、根昆布のお土産は喜ばれますよ!!
☆宝蔵門:
戦災で焼失。昭和39年(1964)ホテルニューオータニ創始者大谷米太郎氏が寄進により再建。提灯は小舟町が寄進。
☆迷子しるべ石:
江戸時代に迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を石に貼り付けた伝言板。
〇浅草寺:
1400年前(飛鳥時代)隅田川の漁師の網にかかった観音様を奉ったのがはじまり。
本堂の提灯は「志ん橋」と書かれている。東京新橋組合が寄進したもの。
〇新奥山:
浅草寺境内の西側にあるこの付近は、江戸時代から大道芸人や見世物小屋で賑わいを見せた場所。
現在は喜劇人碑、映画弁士塚、力石(江戸時代に寺の境内で行われた力比べ大会。その当時の石が今も残されている。)、瓜生岩子像(福島県出身。身寄りのない子供に養育所を建てるなど社会福祉に生涯を捧げた明治の慈善事業家)などがある。
〇浅草神社:
浅草寺の草創に関わった土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、東照宮」(徳川家康)・大国主命を合祀する。
毎年5月に行われる三社祭りは浅草神社の例大祭である。
〇伝法院通り
☆白波五人男:
かって、浅草は歌舞伎が盛んで、五人組の盗賊が活躍する歌舞伎の演目「白波五人男」の作者 河竹黙阿弥もここ浅草に住んでいた。通りにはその盗賊が潜んでいる。
左から、 盗賊白波五人男の頭領日本駄右衛門、弁天小僧菊之助、忠信利平、赤星十三郎、南郷力丸。
☆判じ絵・判じ物
江戸庶民が楽しんだ目で見るなぞなぞ、しゃれ言葉。
★言葉を絵にして見せるのが判じ絵
左より:
・「あ」の屁が「さ」っと出て「くさ」い。=あさくさ
・舌に矢が刺さって=下谷
・肩で駒を回して=駒形
・二本の橋に濁点がついて=日本橋
・矢を火で煎(い)っているので=入谷
・しおれたネギが四本で=根岸 など。
★文字に隠した意味を当てさせる遊びを判じ物
例えば、「春夏冬二升五合」をなんと読む。まず「春夏冬」、ないのは秋。「秋ない」→「商い」。「二升」の「升(しょう)」は「ます」と読み、「升」が2つで「ますます」。「五合」は「一升の半分」→「半升」→「繁盛」。つまり「商い、ますます繁盛」と読む。
苗字の中にもある。「小鳥遊」で「たかなし」と読む。「鷹がいないと小鳥が遊べる」からだそうだ。
☆のれん専門店「べんがら」:
のれんと和風小物の専門店。店先の「太鼓のれん」に判じ絵が描かれている。
☆地口(じぐち)行燈(あんどん):
地口とは、江戸時代に流行したいわば洒落ことば。
ことわざや芝居のセリフをもじって洒落を作ったもので、それを面白い絵とともに行燈に書いて祭礼などに競って飾る。と云うのが江戸の風習の一つだった。
伝法院通りでは鎮護堂(おたぬきさん)のご縁日に飾られていたのが始まりで、今では12本の街路灯(24面)に年間を通してこの地口行灯を飾っている。

・ひまの大工に五十両・・・縞の財布に五十両
・虎の絵をかく狐とは・・虎の威をかる狐
・板きりむすめ・・・・・・舌切り雀
・とんでゆに入る夏のぶし・・飛んで火に入る夏の虫
・あとの号外 先にたたず・・後の後悔先にたたず  など。


☆萬年堂:
昭和7年創業の江戸駄菓子屋。金平糖が有名で1袋315円と値段も手ごろ。昭和レトロなイラストが可愛い包装紙も人気。金平糖を買って、レトロな可愛い紙袋に入れて頂いた。
☆鎮護堂(ちんごどう):
地元では「おたぬき様」と呼ばれている。
明治時代に浅草寺境内に住みついた、いたずらタヌキを鎮めるため守護神として祀ったことが始まりだとされている。防火、盗難除け、商売繁盛の守護神。最近では受験生にも人気がある。「なぬき」すなわち「他抜き」他を抜くことから学業成就にご利益があるそうだ。
破損した頭部をつないであるため加頭地蔵の名があるお地蔵さま。
首が繋がるとの俗信から、サラリーマンの信奉を集めている。
〇雷門通り
☆神谷バー:
明治13年(1880)創業。日本初のバーとして浅草に誕生した。
デンキブランは神谷傳兵衛が生んだ浅草を代表するカクテル。
アサヒビール・タワービル22階のイタリアレストラン「ラ・ラナリータ」を1時に予約しておいたので急いだ。レストランの窓からは東京スカイツリーそして眼下には隅田川両岸に咲く桜を見ることが出来た。
帰りは、隅田川で花見グループと直帰コースに分かれた。
希望者だけだが、合流場所を「清元」に決めた。元気に出迎えてくれた女将さんとは久しぶりであった。

【参考文献:「絵地図」高橋良江著ほか】