出前講座「埼玉(さきたま)古墳群を学ぶ」

日時:8月9日(金)10:30~12:00
場所:中央公民館#8・9
講師:埼玉史跡の博物館史跡担当 岩田明広氏
1.古墳時代はどう云う時代か?
古墳時代は3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多い。
そのうち、3世紀後半~4世紀頃を古墳時代前期、4世紀末~5世紀を古墳時代中期、5世紀末から7世紀までを古墳時代後期と呼んでいる。
☆この時代の主な出来ごと:
3世紀前半に卑弥呼が率いる邪馬台国が誕生。(大和時代)
248年卑弥呼が死に大きな墓が造られた。
538年に仏教が百済から伝来する。
574年聖徳太子誕生。
592年に崇峻天皇が蘇我馬子の手筈により暗殺される。
607年に聖徳太子の命により小野妹子が遣隋使として国書を持って派遣。
645年には大化の改新に着手。
☆この時代の特色:
〇弥生時代の墳丘墓から前方後円墳となり全国共通の形・内容で大規模化してゆく。
〇大量の外国製品(鏡・装身具・器)から国産化(鏡・武器・武具・須恵器)が進む。
〇死の思想の変化「黄泉の国」神話の登場。
〇弥生時代以来の木製農具から金属製農具への技術革新。
〇丸木舟から構造船への航海術の進歩。
等があげられる。
2.古墳ランキング
1)全国の上位の大きさの古墳
 1位 486m 大仙陵古墳   中期 大阪府堺市
 2位 425m 誉田御廟山古墳 中期 大阪府羽曳野市
 3位 360m 石津ケ丘古墳  中期 大阪府堺市
 27位 210m 太田天神山古墳 中期 群馬県太田市
 97位 138m 二子山古墳   後期 埼玉県行田市
2)古墳の数
 全国総計・・・・・・・・16万基以上
 武蔵の国総計・・・・ 5千基以上
3)古墳の形
●円墳 ●帆立貝式古墳 ●上円下方墳 ●双方中円墳 ●双方中方墳 ●前方後円墳 ●八角形墳 ●前方後方墳
その他の墓:横穴墓・土壙墓
3.埼玉古墳群
1)基本的な情報
埼玉県には、特に県北西部を中心に沢山の古墳が所在している。「埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)は、その中の一つの広範な古墳群のうち、同じような特徴を備えた大きな前方後円墳が集まった個所(国の史跡の範囲)についての呼称であって、古墳時代に生きていた人々にとって、どこまで独立したものであったかは分からない。
2)史跡埼玉古墳群
①国指定史跡
・5世紀後半~7世紀初頭の前方後円墳8基と大型円墳1基からなる。指定地外に大型方墳1基、大型墳1基がある。他に、大型墳の間に円墳主体の小古墳約40基。
・指定範囲は、約22.9ヘクタール。公園面積は約32ヘクタール。
②埼玉古墳群の特徴
・長方形・台形の二重掘
・狭い範囲に集中する古墳群
・南北方向に揃って並ぶ前方後円墳
・西側に設けられた造出し(付後円部、付くびれ部の2種類がある)
・日本最大の円墳(丸墓山古墳)高さ19.8m
・国宝金錯銘鉄剣の出土
・150年という短期に造られた古墳群
3)稲荷山古墳
埼玉県第2位の規模の大型前方後円墳である。造営は古墳時代後期の5世紀後半と考えらる。埼玉古墳群中では最初に築造された。
稲荷山古墳は大仙陵古墳と墳形が類似していることが指摘されている。大仙陵古墳を4分の1に縮小すると稲荷山古墳の形に近くなる。
①稲荷山古墳の価値
・実年代の定点(出土遺物)
・舟形礫槨・舟形石棺と地域の古墳
・大阪府大仙陵古墳と相似形の墳丘
②課題
・古墳築造年代と各主体部の構築年代
・第3主体部の有無
・鉄剣の記述と被葬者の関係の解明
4)稲荷山古墳出土「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」
銘文の概要:
「辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。(中略)世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケルの大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。」
年号:辛亥年は471年が定説
ワカタケル大王:雄略天皇
ヲワケ臣:剣を造らせた人
《価値》
①最古の紀年和文として歴史の定点を示す。
②古代国家形成期の歴史的事実の裏付けとなる。
【具体的には。。。】
・金錯銘鉄剣以前の文字記録は中国の文献が中心
・金石文は吉祥句(縁起の良いまじない)が中心
・ワカタケル大王の実在と「治天下大王」の実像を示す
・律令の部民制以前の官制「人制」を示唆
・古事記・日本書紀以前の口頭伝承から記録伝承への過程を示すー系図ー
・倭人社会での初期段階の文字使用や普及状況を示す
以上