さきたま古墳、忍城址そして妻沼聖天山を訪ねる

日 時:10月11日(金)
出席者:23名
コース:所沢東駅口7:45出発⇒所沢IC⇒高坂SA⇒東松山IC⇒さきたま古墳(さきたま史跡の博物館→瓦塚古墳→丸墓山古墳→稲荷山古墳→二子山古墳)⇒渡ら瀬(昼食)⇒忍城(行田市郷土博物館)⇒妻沼聖天山⇒東松山IC⇒高坂SA⇒所沢駅東口(18:00)

10月なのに今日の予想最高温度は30度と云う。朝方は小雨が降っていた。
しかし、所沢を出る頃には雨は上がっていた。

〇さきたま古墳
「さきたま古墳群」は県名発祥の地、行田市大字埼玉(サキタマ)にあり、5世紀後半から7世紀はじめ頃までに造られた9基の大型古墳が群集している。
この時期の古墳群としては、我が国有数の古墳群であり、昭和13年に国の史跡に指定され、埼玉県によって、保存整備を進めている。

☆さきたま史跡の博物館
本館には国宝展示室と企画展示室のふたつの展示室がある。
国宝展示室では金錯銘鉄剣(国宝)及びさきたま古墳群やその周辺の遺跡の出土品が展示されている。(写真下右は「金錯銘鉄剣」)

☆瓦塚古墳
前方後円墳で6世紀前半から中頃に造られたと推定される。
周囲には長方形の堀が二重に巡り、墳丘のくびれ部には造り出しと呼ばれる張り出しがある。また、造り出し正面の外堀には通路とみられるブリッジ状の堀残しがある。

☆丸墓山古墳
日本一大きな円墳。出土した埴輪から6世紀前半に造られたものと考えられる。
この古墳から駐車場へ続く道は、戦国時代に忍城を水攻めにする時に石田三成軍が築いた堤(石田堤)の跡と云われている。(写真下は丸墓山古墳と墳頂からの眺め)

☆稲荷山古墳
古墳が造られたのは5世紀後半と考えられる前方後円墳。
昭和43年(1968)に発掘調査され、金錯銘鉄剣・帯金具・まが玉・鏡をはじめ多くの遺物が出土した。これらは、昭和58年(1983)に一括して国宝に指定され「さきたま史跡の博物館」で展示されている。

☆二子山古墳
武蔵国(現在の埼玉県・東京都・神奈川県の一部)で最も大きな前方後円墳で、造られた時期は5世紀末と考えられる。

☆二子山古墳発掘調査
運よく8月に講師をして下さった岩田氏が発掘をしていたので、特別に発掘調査現場に入れて頂き説明を聴くことが出来た。(写真下の白い破片は人骨)

〇忍城址
忍城は文明年間(1469~86年)の初め頃に築城された関東七名城の一つ。
上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐え、戦国の世を生き抜いた名城である。
しかし、明治維新の際に壊されたが、忍城本丸の跡地に往時の面影を再現した忍城址が整備された。
また、城址内には郷土博物館が併設されている。

〇妻沼聖天山
妻沼聖天山は斎藤別当実盛公が当地の庄司として、祖先伝来のご本尊聖天さまを治承3年(1179)にお祀りしたのに創まる。本殿は国宝。貴惣門は国指定重要文化財。
本殿(歓喜院聖天堂)に施された彫刻類。写真下左は「鷲と猿」右が左甚五郎作「猫と牡丹」

午後6時には予定通り所沢駅東口に着いた。
特に約束をしていた訳でもないのに、いつもの4人は清元に向っていた。
何時、何処で誘ったのか?多分Kさんが誘ったのだと思うが女性のNさんとTさんが一緒についてきた。勿論大歓迎である。
私が入口の所で写真を撮っていると、女将さんが「何しているの?はやくお入りなさいヨ」と態々外まで出て来てくれた。
いつ来ても、親切で、居心地の良い店である。

【参照文献:埼玉県立さきたま史跡の博物館資料、行田市観光課資料、妻沼聖天山彫刻拝観用チラシ】