狭山丘陵南麓を歩く


1.月 日:3月8日(土) 雨天など中止の場合3月9日(日)
2.集 合:所沢駅2階 9:00集合(所沢駅9:19国分寺行きに乗車)小川駅で拝島線に乗り換え東大和市駅下車
3.参加者:18名(案内及び解説:門内氏)
4.コース:東大和市駅前から都バスで青梅方面行きに乗車、貯水池下で下車
バス停貯水池下⇒豊鹿島神社⇒八坂神社⇒小水田⇒熊野神社⇒入り天満宮⇒真福寺⇒赤坂池⇒赤坂トンネル⇒番太池⇒大多羅法師の井⇒横田トンネル⇒武蔵村山資料館⇒村山大島紬水洗場跡⇒横田バス停(東大和市駅方面行き)

⇒豊鹿島神社(都指定文化財)

社伝によると創建は文武天皇の慶雲4年(707)、武蔵の国に来た鬼神を常陸峯に鎮めて、天智天皇第4の姫宮及び曽我山田石川麿が建立したと云われている。
御祭神は武御加豆智命(たけみかづちのかみ)で、常陸の国一宮の鹿島神宮に祀られている武御賀豆智命である。その事蹟は「古事記」にあるごとく天孫降臨に功のあった高天原随一の武神とされている。武運長久、農業守護、国土開発の神である。豊鹿島神社の起源は不詳であり、草創期より鹿島の神を祀っていたかは不明であるが、文正元年(1466)の棟札に「鹿島大明神」と明記されている。「豊」の字は明治以降に付いたものと考えられる。この事業は不明であるが「常陸風土記」によれば鹿島の神を「豊葺原水穂国(とよあしはら みずほのくに)」では豊かしまの宮」といい、これと関連した呼称に改変したものと考えられる。或は境内社の稲荷神社「豊受姫命」の豊を付けたものとも考えられる。

この豊鹿島神社の本殿は文正元年(1466)の建立であり、都内に現存する最古にして唯一の室町時代建立による神社本殿遺構であり東京都有形文化財に指定されている。本殿は現在立派な社屋の中で風雨から護られていると云うが、外側の新社屋しか拝観できないのは残念だ。
右手はかなりの傾斜地だが住宅になっている。左に梅林のある所で左、左へと曲がって行く。先ほど歩いてきた道とは、畑を挟んで反対側の道だ。歩いてきた道を振り返ると狭山丘陵南麓に広がる美しい里山の風景が見える。

⇒八坂神社


⇒小水田
⇒熊野神社
熊野神社(上左)と日露戦没記念碑(上右)
⇒入り天満宮
元は真福寺持ちだったが、明治時代以降は神仏分離により、入りの氏神として氏子により管理されるようになった。祭神は菅原道真公であるが、ほかに真福寺にあった八坂神社、稲荷神社、水天宮が合祀されている。
入り天満宮境内からの風景(写真上左)と境内にある「石橋供養塔」と「坂道修理供養塔」(写真上右)
⇒真福寺
当寺は和銅3年(710)、行基により開山されたと伝えられている。正応3年(1290)に滝性法師により再興され、江戸時代になると徳川家康より寺領20石を拝領し、村山壇林よ呼ばれた宗門学校になる。
山門は享保7年(1722)に建立された楼門式山門で宝暦年間(1751~64)本堂などが焼失した火災の折に損傷した梵鐘が上層に安置してある。
本堂は安永7年(1778)の建立。堂内の格天井には天保10年(1839)作の花鳥画が描かれている。(市文化財)

⇒赤坂池
赤坂池は上と下の2つの池があり、狭山丘陵の湧水を集め中藤の灌漑用水として使われてきた。
⇒赤坂トンネル
大正10年、村山貯水池(多摩湖)の建設に際し、羽村堰付近から多摩川の水を貯水池に導く導水管敷設のため、約7.5㎞区間の路線が敷かれた。3年後の工事完了により撤去された。
その後、昭和4年に山口貯水池(狭山湖)堰堤の砂利運搬のために復活し、これが軽便鉄道「羽村ー山口線」と呼ばれ、当時は28台の機関車と450輌以上のトロッコがあった。昭和19年の堰堤かさ上げ工事まで活躍した。現在、その軌道跡は一部(赤坂トンネル、御岳トンネル、赤堀トンネル、横田トンネルなど)は野山北公園自転車道になっている。
⇒番太池⇒大多羅法師の井
大多羅法師(だいだらぼっち)は頭が雲の中に入ってしまうほどの大男で、藤づるで浄土山を背負って歩いた足跡が井戸になったと云う伝説が残っている。
むかしは、飲料水に利用されていたこの井戸は「でびいしゃら井戸」とも云われ、日照りでも水が枯れなかったそうだ。しかし、現在は落ち葉に埋まりその面影はない。
【番太池(写真上左)】、【大多羅法師の井(写真上右)】
⇒横田トンネル
⇒武蔵村山資料館
⇒吉祥院
横龍山吉祥院は曹洞宗長園寺の末寺で、江戸時代の始めに創建。本尊は聖観音。
江戸時代の末頃には寺子屋であったと云われている。明治5年の学制制度に基づき村山第一小学校の前身である吉祥学舎が置かれていた。
写真上左は門前に安置されている庚申塔。足腰の病にご利益があるそうだ。上右は馬頭観音菩薩。中央が吉祥院。
⇒村山大島紬水洗場跡
横田バス停(東大和市駅方面行き)
 村山織物協同組合の建物(写真上)
【参照文献:「狭山丘陵の歴史と味覚を味わう」及び社寺案内文ほか】