谷根千を歩く

日 時:平成26年5月9日(金)
集 合:所沢駅 2階改札口内9:00 
出 発:所沢発9:15(急行) ⇒ 池袋着9:39
    池袋発9:44(JR) ⇒ 西日暮里着9:55
    西日暮里発10:04(メトロ) ⇒根津着10:08
費 用:電車料金(往復)      1,180
    森鴎外記念館入館料         300
        寺町美術館入館       200
           合 計        1,680
コース:根津駅⇒①弥生式土器発掘ゆかりの地碑⇒☆サトウハチロー旧居跡⇒☆弘田龍太郎旧居跡⇒②お化け階段⇒③根津神社⇒④夏目漱石旧居跡⇒⑤やぶ下通り⇒⑥森鴎外記念館⇒⑦団子坂⇒⑧須藤公園(昼食)⇒⑨いせ辰谷中本店⇒⑩全生庵⇒⑭寺町美術館⇒⑮スペース小倉屋⇒⑯観音寺築地塀⇒⑰岡倉天心記念公園⇒⑱かき氷ひみつ堂⇒⑲谷中銀座⇒⑳夕やけだんだん⇒日暮里駅(G)
① 弥生式土器発掘ゆかりの地碑
弥生式土器発見にちなみ建てられた碑。
明治17年(1884)、東京大学の坪井正五郎、白井光太郎と有坂鉊蔵の3人は、根津の谷に面した貝塚から赤焼きのつぼを発見した。
これが後に縄文式土器と異なるものと認められ、発見地の地名を取り「弥生式土器」と名付けられた。
☆ サトウ ハチロー旧居跡
サトウ ハチロー(明治36年(1903)5月23日~昭和48年(1973)11月13日)日本の詩人、童謡作詞家、作家の旧居跡
☆ 弘田龍太郎旧居跡
「叱られて」、「靴が鳴る」、「雀の学校」、「浜千鳥」、「鯉のぼり」などの作曲で知られる作曲家の弘田龍太郎(明治25年(1892)6月30日~昭和27年(1952)11月17日)の旧居跡。
② お化け階段
登るときの段数と降りるときの段数が違うと云われる不思議な石階段。幽霊坂とも呼ばれる。
上へ登るときは40段、下へ降りるときは39段。その他にも、都市伝説のような噂が飛び交う心霊スポットで知られる。
③ 根津神社
今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の祈願を修められた。
祭神は、須佐之男命・大山咋命・誉田別命。相殿には大国主命・菅原道真公が祀られている。
宝永3年(1706)完成した権現造りの本殿・幣殿・拝殿・唐門・西門・透塀・楼門の全てが欠けずに現存し、国の重要文化財に指定されている。
境内にある約2000坪のつつじ苑には、約100種3000株のツツジが咲き、甘酒茶屋、植木市、露店等もたくさん並ぶ。
④ 夏目漱石旧居跡(猫の家)
夏目漱石は明治36年1月イギリスから帰国し、3月3日ここ千駄木町57番地に居を構えた。38年1月「我が輩は猫である」等を発表し、39年初から「坊っちゃん」「草枕」「野分」等を矢継早に出して作家漱石の名を不動にした。
森鴎外も明治23年10月~25年1月の間この家に住んでいた。現在は保存のため犬山市明治村にある。
⑤ やぶ下通り
本郷台地の上を通る中山道(国道17線)と下の根津谷の道「不忍通り」の中間、つまり本郷台地の中腹に根津神社の裏門から駒込方面へ通ずる古くから自然に出来た脇道である。「藪下道」とも呼ばれて親しまれている。
むかしは道幅もせまく、両側は笹藪で雪の日は、その重みでたれさがった笹に道をふさがれて歩けなかったという。この道は、森鷗外の散歩道で、小説の中にも登場してくる。また、多くの文人がこの道を通って鷗外の観潮楼を訪れた。
現在でも、ごく自然に開かれた道の面影を残している。団子坂上から上富士への区間は、今は「本郷保健所通り」の呼び方が通り名となっている。
⑥ 森鴎外記念館
明治の文豪森鴎外が誕生して150年目の2012年に「文京区立本郷図書館鴎外記念室」が、新たに「文京区立森鴎外記念館」として開設された。
文京区千駄木は、鴎外がその半生を過ごした地である。記念館が建つこの場所は、鴎外の旧居「観潮楼」の跡地で、鴎外は明治25年(1892)から、亡くなる大正11年(1922)までここで過していた。
現在特別展のため入館料は600円だった。展示内容からして高すぎる。
⑦ 団子坂
明治時代に菊人形の小屋が並んでいた団子坂。江戸川乱歩「D坂の殺人事件」のD坂とはこの坂のこと。
⑧ 須藤公園(昼食)
須藤公園は、江戸時代の加賀藩の支藩の大聖寺藩(十万石)の屋敷跡である。その後、長州出身の政治家品川弥二郎の邸宅となり、明治22年(1889)に実業家須藤吉左衛門が買い取った。昭和8年(1933)に須藤家が公園用地として東京市に寄付、昭和25年(1950)に文京区に移管された。
⑨ いせ辰 谷中本店
江戸千代紙専門店。創業元治元年(1864)。
緻密で華麗な木版手摺り2,625円~(機械印刷126円~)は江戸期に考案された絵柄も多く、芸術性に富む。
江戸千代紙とは華やかな色彩の模様を和紙に木版手摺したもの。
古くは宮中で使われた短歌などを書く紙に模様が施されたのが始まりで、大名に伝わり、江戸文化の開化とともに広く庶民に伝った。
そのモチーフは伝統的な衣装にあるもの、花鳥風月を表したもの、また歌舞伎といった風俗習慣などで、江戸庶民の好みが反映され、粋や洒落が特徴。
☆大円寺
寺の境内の笹川臨風の「お仙と春信の顕彰碑」、永井荷風の「笠森阿仙之碑」があると云うので立ち寄ることにした。
笠森おせんは江戸谷中の笠森稲荷門前の水茶屋「鍵屋」で働いていた看板娘。浅草寺奥山の楊枝屋「柳屋」の看板娘柳屋お藤、二十軒茶屋の「蔦屋」の看板娘蔦屋およしを含めて江戸の三美人(明和三美人)の一人としてもてはやされた。
おせんは江戸の浮世絵師鈴木春信の美人画のモデルとなり、その美しさから江戸中の評判となり一世を風靡した。お仙見たさに笠森稲荷の参拝客が増えたという。
大円寺はおせんに関係の深い笠森稲荷を合祀してあったので大正8年に上の2つの碑が建てられたそうだ。
⑩ 全生庵
明治13年(1880)山岡鉄舟が明治維新に殉じた人々の菩提を弔うために創建を発願。
国泰寺から越瘦義格(松尾義格)を開山に招聘して明治16年(1883)に創建した。
三遊亭圓朝が収集した幽霊画を所蔵し、毎年8月の「圓朝まつり」で一般公開している。
安倍晋三首相も通う禅堂としても有名である。
山岡鉄舟、三遊亭圓朝、弘田龍太郎の墓
⑭ 寺町美術館
江戸時代には陸奥黒石藩の御典医を務めた家柄で、自らも黒石で医者をしていた富沢祐三の浮世絵コレクションを中心に展示している。(200円)
午後から雷雨になると云ってた天気予報が的中した。急に空は曇り稲光と雷鳴が聞こえたかと思うと雨が降り出した。そのため入館するのをやめ先を急ぐことにした。
⑮ すぺーす小倉屋
江戸後期の質屋店舗と大正期の土蔵を再生利用したアートスペース。絵画から服飾まで企画展のジャンルの幅は広く、空間の雰囲気にマッチ。建物は国の登録有形文化財です。(無料)
⑯ 観音寺築地塀(かんのんじ ついじべい)
観音寺の南側。塀は瓦と粘土を交互に積み重ねて造られ、その上を屋根瓦で葺いたもの。周囲の街並にしっくりと馴染んでいる。
⑰岡倉天心記念公園
日本近代美術に貢献した岡倉天心の邸宅兼日本美術院跡地。園内には岡倉天心を記念した六角堂が建ち、堂内には平櫛田中作の天心坐像が安置されている。
⑱ かき氷ひみつ堂
珍しい、かき氷専門店。人気のかき氷のほか、11月~4月はグラタンなど温かいメニューもある。看板メニューのかき氷「ひみつのいちごみるく」(700円)は季節を問わず食べることができる。しかし、今日も店は閉まっていた。
⑲ 谷中銀座商店街
谷中3丁目と西日暮里3丁目にまたがる商店街。
谷中銀座は江戸文化の香り高い谷中地区の商業の中心として景観を大切にしている。日暮里駅西口から来ると「夕やけだんだん」と呼ばれる階段を下りると、全長175m・幅員5~6m、70店舗が両側にひしめいて商いをしている。特に夕方から活気にあふれる。
⑳ 夕やけだんだん
日暮里駅西口側から谷中銀座へと下る階段。美しい夕やけが望めることから名付けられたそうだ。
日暮里駅(ゴール)