日本最大の板碑から長瀞渓谷を巡る


◆日   時:11月28日(土)
◆出 席 者:10名
◆集合場所:所沢駅2F改札口内
◆集合時間:8時00分 (注)所沢発8:07は快速急行です
コース:所沢駅(8:07発)→(小手指8:12→入間市8:19)→西武秩父(9:12)⇒(:07)⇒お花畑(9:19羽生行)→樋口(9:51)
★樋口駅⇒釈迦一尊種子板碑⇒樋口駅(10:43発)
★野上駅(10:47着)⇒総持寺(二重宝筺印搭)⇒ポット・ホール(甌穴)  ===昼食===  ⇒野上駅(13:05発)
★長瀞(13:08着)
岩畳⇒埼玉県立自然の博物館⇒上長瀞駅
上長瀞発  14:50⇒所沢着 16:51
◆費 用:
交通費(秩父フリー切符):            ¥1,860(所沢からの往復料金)
野上⇔樋口は乗越し料金(往復):   ¥340
埼玉県立自然の博物館       :   ¥200
合  計             : ¥2,400
◆持ち物:弁当、敷物、防寒用コート(川辺のため寒いことが予想されます)その他

快晴、朝は冷えて寒かったが、秩父に着くころにはぽかぽかと暖かくなり、まさに小春日和と呼ぶにふさわしい雲ひとつない晴天に恵まれた。
のどかな田舎道を歩いていると足の先から頭のてっぺんまで癒されてくる
◆見所:
1.釈迦一尊種子板碑
正しくは「野上下郷 釈迦一尊種子板碑」と言い、日本最大の板碑で高さは537㎝です。
場所は埼玉県秩父郡長瀞町野上下郷39にあり、建立は南北朝時代中期 応安二年 (1369年)で、現在、国指定史跡になっています。
使われている石材は長瀞産の緑泥片岩、一枚岩で造られています。
この板碑は、当地「仲山城」の城主阿仁和直家が落城の際討ち死にして、十三回忌の応安二年(1369)10月に夫人の芳野御前(妙円尼)が追善供養の為に建立したとのことです。
★板碑上部:頭部山形、その下に二段の切り込みをつくっています。
★身部(シンブ):一重線の輪郭を巻いています。
身部上方:釈迦の種子「バク」の上に荘厳点・三弁宝珠を刻み、蓮華座の花心に四つの宝珠を陰刻しています。
★下方には、梵字の光明真言と銘文を刻んであります。
★板碑下方の刻銘:願以此功徳(がんにしくどく)普及於一切(ふぎゅうおいっさい)我等与衆生(がとうよしゅじょう)皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)
《願わくばこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん》
阿仁和直家とはどんな人物か?
阿仁和氏というのはもと「北面の武士」で、南北朝時代に京から秩父の地に下向し、新田義貞に仕えたと言われています。
有名なのは二代目の阿仁和直家で、仲山城に居住していた頃に近隣の秋山城(旧児玉町)に住む侍女の「白糸」とのっぴきならぬ関係となり、秋山城主の秋山新九郎継照の怒りを買って合戦となり、荒川の河原で討死する、という事件が発生します。
その後、直家の13回忌には、直家の妻女吉野御前(妙円尼)と元家臣たちによって、追善供養のため巨大な「板碑」が建てられます。
これが日本最大の板碑、「野上下郷釈迦一尊種子板碑」だと伝えられています。色恋沙汰で命を落とすような武将のために、妻と家臣が、このような立派な板碑を建てるはずがない・・・との見方もあります。
分の悪い南朝方の有力氏族として戦った阿仁和直家の死を曲解させるため、敢えて色恋の噂を流布させたのではないか、とも言われています。
【ことばの意味】
種子(シュジ)とは
密教において、仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)。種子真言(しゅじしんごん)ともいいます。種子は、密教の修法において本尊となる仏を想起するためのシンボルとなるので、これを植物の種に例えて種子といいます。また護符や曼荼羅などに、仏尊の絵姿の代わりに種子を書くことも多く
あります。
因みに、釈迦如来は梵字では「भ」と表記し「バク」と発音します。
荘厳点(ショウゴンテン)とは
釈迦の種子「バク」の上に三日月のような装飾的点がありますがこれを荘厳点と言います。
三弁宝珠(サンベンホウジュ)とは
三つの宝珠が積み重なり(一般には下に二個横に並び、その上に一個乗った形)一つの火炎に包まれた物で、仏教において様々な霊験を表すとされる宝珠のことです。
2.総持寺(二重宝筺印搭)
総持寺は臨済宗南禅寺派の寺です。野上駅から徒歩8分の所にあります。
この寺は秩父七福神のうち福禄寿があることで知られています。

寺の本堂に向って左手墓地内、奥まったところに嶋田家の二重宝筺印搭があります。

二重形式の宝筺印搭は関東特有だそうです。(町指定文化財)
南塔(左側)は夫宗泉、北搭(右側)は妻継芳の逆修搭です。
室町時代後期天文5年(1536)の紀年銘があります。




南塔を細かく見てみよう:
材質は安山岩で高さ149.1㎝です。
★相輪:下から反花文様の伏鉢、請花(ウケバナ)、九輪、請花、宝珠といいます。全体に苔の付着や摩耗があり、特に背面は刻銘が判読困難となっています。


★二層目笠:笠の段型は下二段、上四段、四段目は縦連子、隅飾りは一弧輪郭付きで内に蕨手(ワラビテ)文様を薄肉彫し外傾しています。


★二層目軸部:輪郭を巻き四方仏の種子が刻んであります。
正面(東面)はタラーク(宝生如来(ホウショウニョライ))、南面はキリーク(阿弥陀如来)で金剛界四仏のうち二仏。背面(西面)はバク(釈迦如来)、そして北面はバイ(薬師如来)で顕教四仏のうち二仏を刻み顕・密混合したものが配されています。

★初層笠:隅飾りの内に蕨手を薄肉彫りし、全体に高欄(勾欄)風になっています。
★初層軸部:北・東面は2列3段に罫線を引き北・東から南・西へと続く梵字・光明真言((コウミョウシンゴン)刻んであります。


★基礎:基礎上端は複弁反花、側面は輪郭を巻き、内に胎蔵界(タイゾウカイ)四仏の種子を月輪内に刻み、両側に銘文を各一行四面に刻んでいます。
★刻銘は北面から東面、南面、西面と刻まれる。「大日本武蔵州、秩父郡白鳥郷(北面)下野村住嶋田、弾正忠満吉(東面)逆修功徳主、渓岫宗泉禅門(南面)旹天文五年丙申(西面)」

★北搭:南塔と同じく天文五年造立。高さ144㌢。
~以下省略~



【ことばの意味】
宝筺印搭(ホウキョウイントウ)とは
墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種です。五輪搭とともに、石造の遺品が多い。
逆修搭(ギャクシュトウ)とは
生前にあらかじめ自分の死後の冥福を祈るための仏事をすることです。そのために建てる石搭場を逆修塔といいます。墓石に自分の戒名を刻み朱を入れたりするのも逆修といいます。
縦連子(タテレンジ)とは
主に木や竹などの細い材を用いて縦に一定の間隔を置いて、窓や欄間 (ランマ) に取り付けたもの。
蕨手(ワラビテ)文様とは
植物文様の一種です。曲線の一端が蕨の先端のように渦状に内側に巻いて
いる文様のこと。中国では漢代の瓦当文(ガトウブン)に好んで使用された。日本では,弥生時代の銅鐸や銅剣の文様にみられ,特に九州の壁画古墳にはしばしば描かれています。
顕教(ケンキョウ/ケンギョウ)とは
仏教の中で、秘密にせず明らかに説かれた教えのことです。密教の反対語。
真言宗の開祖である空海が、密教が勝れているという優位性の観点から分類した教相判釈(キョウソウハンジャク)の一つです。
空海は、顕教と密教を次のように区別しました。
顕教:衆生(シュジョウ)を教化するために姿を示現した釈迦如来が、秘密にすることなく明らかに説き顕した教えのことです。
密教:真理そのものの姿で容易に現れない大日如来が説いた教えで、その奥深い教えである故に容易に明らかにできない秘密の教えです。
光明真言(コウミョウシンゴン)とは
正式名称は不空大灌頂光真言(フクウダイカンジョウコウシンゴン)という密教の真言です。光明真言は23文字の短いお経ですがこれを一心に唱えると、すべての災いを取り除くことが出来るという真言宗の中でも重要な真言です。

3.ポット・ホール(甌穴)
場所は、高砂橋と金石水道橋のちょうど中間、長瀞オートキャンプ場のすぐ近くですが、河床より約7㍍高い位置にありますので、足元ではなく崖沿いを探さなければなりません。(ポット・ホールのそばには看板がありません)ポットホールは大岩の中腹にあります。
ポットホール(pot hole)は、うず巻のために小石が回転して川底の岩石にできたなべ状の穴です。おう穴またはかめ穴(水をためておくかめに似ていることからこの名がついています。)といいます。
ポットホールは、急流の場所で川底の岩石に割れ目や節理という割れがあると、川の流れによって軟らかい部分がけずられてくぼみができます。このくぼみに小石が入り込むと、渦によって小石がくぼみの中を転がって円形の穴に成長します。
ポットホールのある岩石の岩質は「緑泥片岩」といい穴は垂直でなく上流に傾いています。
荒川流域のポットホールは、源流域の大滝村、河岸段丘域の荒川村、皆野町、長瀞町にあります。特に有名なのは、皆野町皆野のポットホールと長瀞町長瀞の岩畳上にあるポットホール、長瀞町井戸にある日本一のポットホールです。
この日本一のポットホールの直径上部は1.8メートル、中~底部は1.4メートルあります。深さは4.7メートルあり、その規模の大きいことから日本一の定評があります。
1962年発掘の際、ポット・ホールをうがつ原因と思われる大きな玉石が150個のほか、洪武通宝(中国の貨幣で約600年前のもの)2枚が発見されました。なお、ポット・ホールは落下の危険などを考慮して埋め戻されています。
ポット・ホールに入っていたボールは「埼玉県立自然の博物館」に展示されています。
4.岩畳
隆起した結晶片岩が岩畳状となって広がる長瀞の中心地。対岸には秩父赤壁と呼ばれる絶壁や明神の滝があります。荒川は、岩畳で青く淀んだ瀞となり美しさを増します。
★菊水岩(キクスイイワ)
風布の麓に菊水模様を浮き彫りにした岩があります。この岩は赤鉄片岩と緑泥片岩からできていて、地質学上「横臥褶曲」と呼ばれる状態が整然と表れています。この岩が出来た当時の激しい地殻変動を物語る貴重な資料となっています。
★虎岩(トライワ)
県立自然の博物館の前方の河原に、虎の肌を思わせるような縞模様の岩があります。茶褐色の脆雲母(ゼイウンモ)と白色の石英脈とが折り重なって波模様を見せるこの岩石は脆雲母片岩といいます。
【ことばの意味】
瀞(トロ/ドロ)とは:
河川の流れの中での中で,水が深くて流れの緩やかな所をいいます。
横臥褶曲(オウガシュウキョク)とは:
褶曲作用がはなはだしく進み、軸面がほとんど水平に倒れている褶曲。
褶曲(シュウキョク)とは:
地層の側方から大きな力が掛かった際に、地層が曲がりくねるように変形する現象のことをいいます。
5.埼玉県立自然の博物館
ここにはポットホールの中にあったボールが展示されています。
また、「相似褶曲」や「平行褶曲」など殻変動によって出来た岩石が展示されている他、岩石の結晶、貝や動物などの化石も展示されています。
現在、2階の企画展示室ではパレオパラドキシア(埼玉県の世界一)展を行っています。
外には宮沢賢治が虎岩を詠った歌碑