野川の遺跡を歩く


1.月 日:平成28年6月11日(土)
2.集 合:9:00 所沢駅2階改札内
3.出席者:13名
4.行 程:
  所沢駅9:07910東村山駅9:14925国分寺駅9:30940武蔵境駅959(バス)⇒1015国際基督教大学(ICU
  ICUバス停→ICU博物館[30]→(20)→二枚橋→(7)→野川公園(自然観察園・自然観察センター)[20]→(7)二枚橋→(3)→武蔵野公園:昼食[30]→(15)→はけの森美術館[30]→(10)→金蔵院[10]→(15)→滄浪泉園[15]→(15)→貫井神社[15]→(20)→国分寺駅【解散15:00頃】
  →(  )は徒歩時間、[  ]は見学時間
5.費 用:
   交通費  往路:所沢→武蔵境 360円 武蔵境→ICU 216円
        復路:国分寺→所沢 206円
   入館料  はけの森美術館 200円
   入園料  滄浪泉園 100円

6.持ち物 : 弁当、敷物、他                 担当:2班

武蔵野の面影を残すハケの道を歩いて、旧石器・縄文時代の遺跡を訪ねるコース。考古展示のあるICU博物館や都立野川公園、中村健一記念美術館、滄浪泉園など見どころも多い。と案内には記されている。。。。。いざ、出発!!

◆国際基督教大学(ICU)
ICUの敷地は、ハケと呼ばれる国分寺が崖線に沿った台地にあり、ハケの下には水量豊な湧水が点在している。
ICU構内遺跡群の本格的な調査は、1956年から大学施設の建設に合わせて、ほぼ毎年のように実施されて、現在、25地点が確認されている。
その結果、旧石器時代と縄文時代中期を中心とした遺跡群であることが判明している。
◆ICU博物館

初代学長であった故湯浅八郎博士を記念して湯浅八郎記念館と名づけられている。
考古学の展示は1階と2階にあって、IUC構内から出土した旧石器時代と縄文時代の遺物が写真などと共に紹介されていた。
1階には構内で発見された敷石住居跡の復元模型、2階への階段の壁には関東ローム層の断面標本も展示されていた。
また、民芸展示コーナーには、湯浅博士が収集し、大学へ寄贈した民芸品が多数展示されていた。


◆野川公園(自然観察園)
元はICUのゴルフ場であった場所で調布、小金井、三鷹の三市にまたがる自然と水に恵まれた野趣あふれる公園である。
自然観察園は、ハケからの湧水を利用し大小七つの池が造られていて、菖蒲池やほたる池などという名がつけられている。
◆武蔵野公園(昼食)

若者や家族連れの楽しそうなバーベキューの光景を横目に我々年寄り組は弁当を広げた。
◆はけの森美術館(中村研一記念美術館)
日本画壇の重鎮として活躍した中村研一の遺作を守り続けて来た富子夫人が1989年に開館した美術館である。
残念ながら5月中旬から臨時休館になっていた。
美術館の裏には研一夫妻の旧宅が外観をそのままに、1階が喫茶室、2階が茶室に改装されているそうだが、こちらも休館中であった。
◆金蔵院
名 称: 天神山金藏院観音寺
本 尊: 十一面観世音菩薩
宗 派: 真言宗豊山派
本 山: 長谷寺(奈良県)
真言宗 宗祖 弘法大師空海上人
開星稲荷神社裏手のケヤキとムクノキは、樹齢は推定400年以上といわれ、小金井市天然記念物に指定されている。
また、初秋になると白萩の花でいっぱいになり、“萩寺”としても親しまれているそうだ。
◆滄浪泉園
明治・大正期の財界人である波多野承五郎氏が別荘として、ハケの立地を生かして造った庭園である。その名の由来は1919年に訪れた犬養毅元首相が「俗塵に汚れた心を洗い清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」という意味でつけたとのこと。
波多野承五郎という人物
遠江国掛川出身の実業家、政治家。慶応義塾に学んだ後、福沢諭吉の創刊した時事新報の主筆、外務省などを経て、朝野新聞社長、王子製紙 、三井銀行などの役員を務め、大正9年には、衆議院議員となった。
数寄者としても明治期から知られており、三井系財界人の茶会などにもしばしば招かれているが、本来の趣味は、文人画、煎茶などであり、そのコレクションも、この方面の作品が主体を占めている。


《チョットひとこと》
大磯に滄浪閣という建物がある。こちらは伊藤博文元首相の別邸であったが、今でも残っているのだろうか?
こちらの名の由来は、楚辞の漁父第七「滄浪之水清兮 可以濯吾纓 滄浪之水濁兮 可以濯吾足」(滄浪の水清まば、もってわが纓を濯うべく、滄浪の水濁らば、もってわが足を濯うべし)とされる。
◆貫井神社
元は貫井弁財天と称し、武蔵野段丘のふもとの景勝の地に鎮座し、貫井部落の氏神として崇敬されていたが、明治維新に貫井神社と改称した。縁起由緒等不詳であるが、境内より湧出る清水の神池、老松、老杉その他立木の樹令から推すると、付近各所より考古学の貴重な遺跡、好資料の土器等多数出土するところから相当古い創建と思われる。
御祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、大己貴命(オオナムチノミコト)(大国主神のこと)