「古利根川沿い・粕壁宿」を歩く

1.月日 平成29年6月10日(土)
2.集合 所沢駅 2階改札内 9:00
3.行程 所沢駅発(9:11)→武蔵野線新秋津駅発(9:22)→南越谷駅着(9:54)→東武新越谷駅発 (10:11)春日部駅着(10:25)(徒歩所要時間2時間コース)
①ぷらっとかすかべ→②道標→③商家の蔵→④古利根公園橋→⑤碇神社→⑥東陽寺→⑦八坂神社→ ⑧東八幡神社→⑨薬草園跡(文化会館・昼食)→⑩歴史資料館→春日部駅・解散

春日部駅でYさんと合流、撮影者Nさん合わせて、全員11名の参加となった。


1.「ぶらっとかすかべ」

「ぷらっとかすかべ」は平成21年、春日部駅前にオープン。
市の観光、イベント、タウン情報などを発信する情報発信館。
私たちは、ここで観光ボランティアのガイドさんから資料を頂きコース案内、散策中の事故防止、熱中症予防などのお話を聞いて粕壁宿の散策に出発した。
◆粕壁宿は、江戸日本橋から9里2町(≒35.6km)千住、草加、越谷に続く日光道中4番目の宿場町。一般に、宿場は公用の出張者が利用する馬や人足を、乗り継いで交代するための場所として、諸街道に設けられて、公的な書類の飛脚業務も行っていた。粕壁宿には人馬の手配など行う問屋場が1ヶ所あり、人足35人、馬35疋を用意していた。また、宿場施設である本陣と脇本陣が各1ヶ所あった。一般旅客も泊まることができる旅籠は45軒。宿場の町並みは南北10町25間(≒1.1km)で、天保14年(1843)頃、家数は773軒、人口は3701人だった。


2.日光道中の道標


駅前から7~8分歩くと日光道中にでた。
旧商家・屋号東屋の田村本店前には大きな石の道標が立っていた。
天保5年(1834)のもので、「西南いわつき、東江戸、北日光、右の方 陸羽みち」と方角が刻ま れていた。この場所には交差点はなく、別の場所の ものだという。
◆粕壁宿の景観を再生
宿場町の面影を楽しんでもらおうと2011 年1 月に「かすかべ景観再生プロジェクト」がスタート。写真のようなシャッターアート、電柱の地中化、案内標識の設置など、街の景観創りが感じられた。
写真のシャッターアートは「生け花を楽しんでいる風景」



3.ミセと蔵

粕壁宿の米問屋などの商家は、間口が狭く奥行きの長い敷地で、街道の並びには商業空間としての「ミセ」を、その奥には生活空間としての「オク」が作られた。このような短冊型の地割は江戸時代の宿場にみられる歴史的景観の一つである。街道の北側の商家は古利根川沿いまで蔵を連ね、船を乗り付けて荷を上げ下げした。現存する蔵造りの建物は、火災除けのため、幕末から明治期にかけて建てられたものが多い。
4.古利根公園橋

市制施行30周年記念事業として昭和59年(1984)、全国初めての橋上(水上)公園が建設された。
橋上の広場には、麦わら帽子をモチーフにしたアーチがある。多くの彫刻の作品も点在し、アートな雰 囲気を醸している。また、公園から見える川岸にはレトロ感のある千住馬車鉄道のモニュメントが設置 されている。千住馬車鉄道は、明治中期に千住茶釜橋―粕壁の最勝院間を3時間で結んでいた鉄道。
5.碇神社のイヌグス
推定樹齢600年。かなり樹木医の手が施されている。この地では珍しい南方系の樹木で県指定の天然 記念物になっている。名の由来はクスに似ているがクスではなく、木質が劣ることから頭に犬をつけて このように呼んだ。神社の木立付近には下喜蔵河岸があり、古利根川を通る船にとって河岸を探す目印 になっていたという。碇神社の名の由来も、そのようなことによるものらしい。

6.東陽寺(曹洞宗)

東陽寺は、文明年間(1469~87)に春日部八幡神社の東隣に開山したが寛永元年(1624)に焼失し、寛文2年(1662)に当地で中興したと伝えられる。
元禄2年(1689)「奥の細道」紀行で3月27日、松尾芭蕉が粕壁宿に一泊した。随行した弟子の「曾 良旅日記」には「廿七日夜カスカヘニ泊ル」とあり、その一文が刻まれた記念碑が寺の前にある。
実際の宿泊場所は定かではなく、小淵山観音院など諸説がある。山門の脇には「傳 芭蕉宿泊の寺」と刻まれた小さな碑が木陰に隠れるように立っていたのが印象的だ った。
7.八坂神社周辺

上の写真は現在の八坂神社付近、左から時計回りで、日光街道、東八幡神社の参道。中央に東陽寺が が写っているが現在の国道4号線、そして八坂神社。神社の祭礼は、7月の「春日部夏祭り」である。
◆分間延絵図
八坂神社は宿の入口にあたる箇所に描かれているが、現在位置とほぼ同じ場所である。天王様の通称で 親しまれ、六斎市が立ったところから市神様として信仰されてきた。
絵図には、八坂神社周辺の東八幡神社とその参道、東陽寺、源徳寺などが描かれていることがわかる。

8.東八幡神社(祭神は誉田別尊)


上右の写真、拝殿の梁には見事な龍の透かし彫りが装飾されている。東八幡神社は口伝によれば、京都の石清水八幡から分霊・勧請し、氏神様として祀られ、昔から「下の 八幡」の愛称で親しまれてきた神社。ご利益は五穀豊穣、厄除け、開運など。
下の写真は、東八幡神社の本殿の周囲に施された、老夫婦と動物を描いた見事な透かし彫りの彫刻。
先の拝殿の彫刻など、あらためて“下の八幡”と親しんできた氏子の思いが伝わってきた。
◆東八幡神社境内の末社



東八幡神社の境内には多くの神社が合祀されていたので紹介する。恐らく明治の神社統合令によるものだろう。左上から時計回り、雷電神社、浅間神社、大杉神社、大国玉神社、豊玉稲荷大明神、松の樹稲荷大明神、天満宮等地域の様々な神社が祀られていた。
9.薬草園跡(市民文化会館・昼食)

写真は市民文化会館、その隣にはミニ薬草園の案内板が建てられていた。
当初、昼食を古利根公園橋で計画していたのが、3班・幹事やガイドさんの計らいで、市民文化会館の 冷房の利いた快適なホールで昼食ができたことは熱中症予防の観点からもよかったと思う。
現在の市民会館の建設以前は「春日部薬草園」と呼ばれた、日本初の国立薬用植物栽培試験場があり 世界各地の薬用植物約3000種の栽培管理・品質改良が行われていた。5月の開花期にはケシの花が咲き乱れ見事だったという。大正11年に開設され、昭和55年につくば市に移転、現在は会館に隣接したところに約200種類のミニ薬草園になっている。
10.春日部市郷土資料館
日光道中の粕壁宿の町並みが模型で再現さ
れていた。商家の間口が狭く、奥行きが長い短冊状の地割がよくわかった。桐製品・麦わら製品・押絵羽子板・凧など特産品を勉強することができた。
◆郷土の歴史がなくなる!?
旧家の解体、相続問題、オークション等で古文書など資料が手軽に売買・散逸されている現状を訴えた掲示が印象的だった。



<おまけ> 春日部駅西口・(秋葉神社の)夫婦松
   


春日部駅東口で解散後、一人で駅西口に行って見た。途中で春日部エイサー開催中の看板を見たが、どうも近くではないらしい。やめて駅に戻る途中、チョッとした木立を見かけた。近寄って見るとご覧の通りで、何とも艶めかしい。イチョウと松が根元から一緒になっていた。ご神木なのかもしれない。
今、神社は他の場所に移転しているが、昔この場所は秋葉神社の境内であったと近くの人が教えてくれた。市指定天然記念物
 (大河原記)
<参考資料>3班作成資料、分間延絵図(一部加筆)、春日部市郷土資料館発行資料、
「宿場まち歩きブック」埼玉県利根地域振興センター発行
春日部市役所河川課発行「大落古利根川・川を歩こう」