「柴又帝釈天」から「野菊の墓文学碑」を散策する




1.日   時   平成29年9月15日(金)
2.集合時間   8時45分
3.集合場所   所沢駅2階改札内
4.行  程
 8:58(準急)    929938        950958            10111022             1024
 所沢駅 ⇒  池袋駅  ⇒  日暮里駅  ⇒  京成高砂駅  ⇒  柴又駅

参道  11001140     12001220     12251310       渡し船乗船        13301400 
⇒   帝釈天   ⇒  山本亭  ⇒   寅さん記念館  ⇒ 矢切の渡し  ⇒  矢切苑(昼食)
  
野菊のこみち  14301445      1509       15141518      15411550   16031620    16:42
⇒ 西蓮寺(野菊の墓文学碑) ⇒ 矢切駅 ⇒ 京成高砂駅 ⇒ 日暮里駅 ⇒ 池袋駅  ⇒  所沢駅

5.費  用 2,879円
所沢駅→京成柴又駅 763円   矢切駅→所沢駅 1,066円
帝釈天彫刻ギャラリー・庭園拝観料 400円
寅さん記念館・山本亭セット入館料 450円
矢切の渡し乗船料  200円
6.出席者: 9名

7.見どころ
① 帝釈天参道
京成電鉄柴又駅前から参道が伸びています。
参道には、『男はつらいよ』の映画撮影に使われていた『とらや』や『高木屋』をはじめ、柴又最古の木造店舗『い志い』など、数多くの店が軒を並べています。
私たちは、数多く並んでいるだんご屋の中でも二天門近くの「亀家本舗」に入り、名物の「草だんご」を食べた。女将の話だと、小豆は北海道産の大納言を使用しているとか。しっかりとした草だんごと小豆がマッチして美味かった。店の対応もよかった。
五木寛之氏は、『男はつらいよ』の原作者で監督の山田洋次氏が、奈良でもなく京都でもない、この地に日本的な姿、日本的なふるさとを見つけたのは非常に興味深いと、『百寺巡礼』の中で言っています。

②柴又帝釈天「経栄山題経寺」
寛永6年(1629)に禅那院日忠および題経院日栄の二人の僧によって開創された日蓮宗寺院です。
18世紀末の頃から帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになりました。
近代以降も」夏目漱石の『彼岸過迄』を始め、多くの文芸作品に登場しています。
20世紀後半以降は、映画『男はつらいよ』シリーズの渥美清さんが演じる主人公;車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになりました。
★二天門
明治29年(1896)の建立です。入母屋造瓦葺の楼門で、屋根には唐破風と千鳥破風を付しています。初層右には四天王のうち増長天、左には広目天を安置しています。
二天像は平安時代の作とされています。門の名はこの二天像に由来しています。
★浄行菩薩
浄行菩薩は、この世を浄化し人々の罪や穢れを洗い清めてくださるといわれています。
このため、身代わり菩薩として親しまれているようで、患っているところをタワシで洗う人が多いようです。



★瑞龍の松(ずいりゅうのまつ)
高さ約 10.0 メートル、枝張は東西約 16.6 メートル、南北約 19.3 メートル、目通り幹周1.8 メートルで、上方にまっすぐ伸びる幹と3方に長く伸びた大枝からなる樹齢推定500年の黒松です。特に南のものは帝釈堂の庇ひさしの前に、西のものは石畳に沿うように伸び、帝釈堂と一体となった景観をなしています。その生き生きとした姿は、頭を空に向け、尾を西に伸ばして天に昇る龍のようです。
★帝釈堂
二天門を入った境内正面に位置します。
拝殿と奥の内殿からなり、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付しています。内殿は大正4年(1915)、拝殿は昭和4年(1929)の完成です。

内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置しています。
この板本尊は日蓮上人の作と言われており、本尊の長さは2尺5寸、幅1尺5寸、厚さ5分の板です。
★彫刻ギャラリー
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名です。これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922)から昭和9年(1934)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作しました。この羽目板の上方には十二支と天人、下方には千羽鶴が表され、高欄(縁)より下の部分には花鳥および亀を浮き彫りで表しています。
★大客殿と邃渓園(すいけいえん)
大客殿は昭和4年(1929年)の完成で、入母屋造瓦葺、平屋建の左右に細長い建築です。東京都の選定歴史的建造物になっています。
邃渓園は大客殿前に広がる池泉式庭園で、昭和40年(1965)に向島の庭師永井楽山の設計によるものです。
庭園への立ち入りは禁止されていますが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から見ることができます。想像していた以上に広く美しい庭園でした。
③ 山本亭
山本亭は、大正末期に建てられた趣ある書院造に西洋建築を取り入れた和洋折衷の建造物です。
合資会社山本工場(カメラ部品メーカー)の創立者、故山本栄之助氏の住居として建てられ、大正12年の関東大震災を期に、浅草の小島町から現在地に移転し、大正15年から昭和5年までに増改築を重ねました。当時は洋風建築を取り入れることが富裕層の間で流行しており、その佇まいを今に残す貴重な建築として、葛飾区が登録有形文化財に指定。昭和63年に買い取り、平成3年4月から一般公開されています。
池泉・築山・滝などを設けた典型的な書院庭園も国内外を問わず高く評価されています。
米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が実施した日本庭園のランキング調査の結果、順位が発表された2003年以降、山本亭は7位以内にランクインし続けています。
④ 寅さん記念館
寅さん記念館では、映画『男はつらいよ』の世界にくまなく触れることができます。館内には、フーテンの寅さんがいつも必ず帰ってくる場所、葛飾柴又の団子屋「くるまや」が再現されています。
それ以外にも、登場人物が作品中で使用した小道具など、貴重な資料の数々を陳列しています。
⑤矢切の渡し
♪つれて逃げてよ~ ついておいでよ~ ♫ 
ご存知!?「矢切の渡し」の一節です。
江戸時代初期から続く矢切の渡しは、柴又と対岸の松戸を結ぶ渡し船で都内に唯一残る貴重な渡し場です。
因みに県境を流れる川は江戸川です。
この渡しは江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつであり、観光用途に設けられたものではありません。かつては官営でしたが、その後民営となり、代々個人により運営されています。
現在でも時刻表などありません。お客さんが乗り終われば船を出します。このアナログ感がいいですね。定員は30名です。
⑥ 野菊のこみち
『後の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼い訳とは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余(よ)も過ぎ去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持だけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持に立ち返って、涙が留めどなく湧くのである』
15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く「野菊の墓」の一節です。
野菊のこみちは、矢切の渡しから野菊の墓の文学碑までの遊歩道。歩いて20分くらいの行程だと聞いていましたので、数多く映画化されているこの物語を思い出しながら歩くのも良いかもしれない。と、思ったのですが。。。
土手を下ると一面の畑でした。家一軒もない畑の中の農道を歩く。期待していた野菊など一本もありません。秋晴れと云うもののまだまだ日中は暑い、愚痴の一つも言いたくなる道中でした。
⑦野菊の墓文学碑 (西蓮寺)
野菊の墓文学碑は、松戸市下矢切にある西連寺の境内にあります。アララギ派の歌人伊藤左千夫(1864~1913年)の処女作「野菊の墓」の一節を刻んでいます。
昭和40年(1965)に地元有志の発案と門弟土屋文明氏の書により建てられました。
隣接の野菊苑展望台からは、矢切耕地、江戸川、東京の街並みが見渡せます。
船を降りてから矢切駅まで約1時間の行程でした。
担当:1班

コメント

我逢人 さんの投稿…
◆これまで3回程行ったことのある柴又でしたが、さくらの像、良くなった寅さん記念館、そして初めての矢切の渡し、野菊の墓の碑など、とても楽しい散策でした。nazuさん
◆寅さんと帝釈天駅のアングルはベストショットですね。
草だんごを食べ、川風に吹かれて矢切の渡し船にのり、大堤防を登り、野菊の道の道しるべ等あり良かったです。shiwaさん
◆野菊のこみちにはがっかりしましたが、矢切の渡しまでは天気にも恵まれ、楽しかったですね。写真を観ながら、串団子の味を偲んでいます。takaさん