しばられ地蔵とみずもと公園

江戸時代の名奉行大岡越前守の裁きで知られる「しばられ地蔵」と、隣接しているハナショウブ咲く東京の水郷「水元公園」を訪れ、都内最大規模の水郷公園の豊かな森林の趣と貴重な水性植物を観賞しました。


1.日 時    平成30619日(火)
2.集合場所   所沢駅2階改札内
3.集合時間   850分(8時58分発池袋行)
4.行 程
 所沢駅 ⇒  池袋駅 ⇒ 西日暮里駅 ⇒ 金町駅 
 金町駅⇒松浦の鐘⇒南蔵院(しばられ地蔵)⇒水元公園(昼食・散策)⇒水元公園バス停金町駅
 歩行距離 約3.5km 金町駅にて解散(14:30) 
 費 用   : 交通費(往復)  1,448  
5.出 席 者      14名
★みどころ
松浦の鐘(マツラノカネ)
この梵鐘は、旧小合村の領主松浦河内守信正が宝暦7年(1757年)に菩提寺の龍蔵寺に寄進したもの。
明治2年の廃仏毀釈で同寺は廃寺となったため鐘は村有となり、非常用の早鐘として用いられていた。
今では区指定の文化財として水元さくら堤に保存されている。
        【堤防の桜木の下を通って「縛られ地蔵」へ向かう】
南蔵院(天台宗 業平山東泉寺)
【南蔵院境内】
伊勢物語で知られる平安時代の歌人在原業平が東下りの際に、墨田川で舟遊びをした時に船が転覆して多くの人が亡くなったので、業平はその人々を弔い像を刻み村民に与え法華経を写経して塚に納め(業平塚)、その傍らに南蔵院が創建された。
そこには橋が架け渡され業平橋と名付けられた。
南蔵院の境内はその隅田川の様子を表したものであり、白御影の砂利は隅田川、参道は業平橋、右手の石は業平の舟石である。
又、境内には大岡裁きで知られ、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなどあらゆる願い事を聞いてくれる霊験あらたかな地蔵尊(しばられ地蔵)が祀られている。
像高1メートル程の石の地蔵尊で、元禄14年(1701年)の造立と伝えられている。
「文政寺社書上」によると、この地蔵尊は諸願成就、殊に難病平癒に霊験があり、信心の者が祈願するときは地蔵尊を縄で縛り、成就したときには縄を解くことから「しばられ地蔵」と称したと記されている。
毎年12月31日(大晦日)の夜しばられ地蔵尊の縄解き供養が行われる。
又、大晦日と元旦には厄除けから縁結びまで、あらゆる願い事を結ぶ開運の縁起「結びだるま市」が開かれる。
◆「しばられ地蔵」の由来
江戸時代の享保年間八代将軍吉宗の治世、日本橋にある呉服問屋の手代が、南蔵院の境内でうっかりひと眠りしている間に反物を荷車ごと盗まれてしまいました。
調べに当った名奉行大岡越前守忠相は、「寺の門前に立ちながら泥棒の所業を黙って見ているとは、地蔵も同罪なり、直ちに縄打って召し捕って参れ」と命じました。
かくして地蔵はぐるぐるに縛られ、車に乗せられ江戸市中を引き廻され南町奉行所へ。 物見高い野次馬が、どんなお裁きが始まるかと奉行所になだれ込みました。
頃を見計らった越前守は門を閉めさせ「天下のお白州に乱入するとは不届至極、その罪として反物一反の科料を申し付ける」の一声。
奉行所にはその日の内に反物の山が出来ました。
手代に調べさせるとその中から盗品が出て、それからそれへと調べると当時江戸市中を荒らした大盗賊団が一網打尽となったのです。
越前守は地蔵尊の霊験に感謝し、立派なお堂を建立し盛大な縄解き供養を行いました。
以来、お願いするときは縛り、願いが叶えば縄解きするという風習が生まれ、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られています。
水元公園
葛飾区にある都立公園で、東京23区内では最大規模の面積の水郷公園である。
園内では、高さ20メートルに達する200本のポプラ並木や、生きている化石として知られる約1800本のメタセコイヤなど豊かな森林の趣と、貴重な水性植物を擁する水郷風景を楽しめる。
特に、6月上旬から下旬にかけて咲き競う約100種・1万4千株200万本の花菖蒲は都内最大で、この期間「菖蒲まつり」も開催され多くの来園者で賑わう。
☆あやめ園
☆この景色を見ながら昼食
☆水元大橋付近で記念撮影
☆再び歩く!
☆ヨシキリの鳴き声を聞きながら葦の中を歩く
☆小休憩
【グリーンプラザ】
☆「中央広場」を左に見て歩く! 歩く!
☆メタセコイアの森
☆ポプラ並木を通り抜け
☆途中、「ねむの木」の花を見ながら進む。あと少しだ!
☆本日のゴール「かわせみの里」に到着!!
カワセミは見ることが出来なかったが、カセミの出現を待っている数人のカメラマンに出会った。
【担当:1班】