北野天神社を訪ねる

西武池袋線小手指駅改札口前13時30分集合。
小手指駅南口13時50分発「椿峰ニュータウン」行バスに乗車し「北野天神社前」で下車。
参加者11名。

●バスを降りると、鬱蒼とした森の中に現れた。

●本日の案内は当神社の宮司である栗原廸子さんが行ってくれた。

栗原廸子さんは若くて美しい宮司さんだった。

地域の人々に社の歴史や貴重な文化遺産をもっと知って欲しいとの強い思いから、日ごろは公開していない社の中を案内し、長時間にわたり丁寧に説明してくれた。
◆社殿の概論
社殿は源頼義・義家公が奥州追討の宿願成就のため総社を建立しました。
建久6年(1195)9月19日に源の頼朝公が正八幡宮を勘請し、社殿をすべて修造し、新たに延喜式内の諸神を祀って諸神堂を建立しました。
延喜式内社とは、当時の朝廷が全国を調べ、927年以前に確実に存在し、重要視された神社のことを言います。
この時の大宮司は上毛野元重で社領は頼朝公より二百貫文増加され、併せて二千二百貫文となりましたと記述されています。その後、建武・延元の戦乱に兵火となり、延文元年(1356)足利尊氏が境内に諸社を再建しましたが、再び戦乱により廃爚化してしまいました。
その後、前田利家が社殿を再興しました。菅原道真公御自筆の法華経、宗近の太刀、黄金200枚を献納し、梅1本を献裁しました。「大納言の梅」として境内に現存しています。
なお、社殿には足利氏満・北条氏照・前田利家・徳川家康などの書状が残っています。
また、室町時代初期の作品「北野天神縁起 七福」は、埼玉県指定文化財に指定され
ています。
◆北野天神社
【拝殿】
北野天神社の正式名は物部天神社國渭地祗神社(こくいちぎじんじゃ)天満天神社で、この三社を一つの神社に祭ることから総称して北野天神社と呼ばれています。
○物部天神社
ご祭神は櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)です。
櫛玉饒速日命は日本武尊が、ご東征の折に創建された天神(天より来られた神のことを言います)で、物部氏の祖先神であり、『古事記』『日本書紀』では天磐船に乗って天より下ったとされています。延喜式内社であります。
交通・航空安全、勝運上昇の神として信仰を集めています。
特記;所沢陸軍飛行場(現航空公園)にあった航空神社の神主がお祭りを行っていましたが、戦後、航空神社が北野天神社に移されました。
○國渭地祗神社
ご祭神は八千矛神やちほこのかみ)【大国主命の異称】です。
八千矛神は物部天神社と同じく日本武尊が、東征の折に創建された神様で物部天神社の天神(あまつかみ)に対して地祗(くにつかみ)(国や地域のことを言います。)の神で、大国主命とも言われ、国つくりを行い、人々の生活を豊かにした神様です。
延喜式内社であります。
また、矛の字を示すように多くの武器を持つ英雄神として崇敬されています。家運隆昌、商売繁盛、良縁祈願の神様です。
○天満天神社
ご祭神は菅原道真公です。
長徳元年(995年)に一条天皇の勅命を受けて、坂東の鎮護として京都の北野天満宮より、関東では初めて菅原道真公の御分霊(魂のことを言う)を勧請したと伝えられています。大阪より東地方で初めて御霊が勧請された「坂東第一北野天満宮」です。埼玉県では最古の天神様です。
学業成就・合格祈願・技芸上達だけでなく厄災を祓い抜ける厄除の神様でもあります。
★北野天神社のお祭り
*元旦祭と初詣(1月1日)*節分祭(2月3日)*初馬祭(2月11日)*祈年祭(2月27日)*春季例大祭(3月21日)*春祭(3月25日)*養蚕祭(4月3日)*慰霊祭(4月15日)*八雲祭(天王祭)7月14日(宵宮)、7月15日(本祭)*秋季大祭(9月下旬)*新嘗祭(11月23日)など。





●神社に関する説明および摂末社や史跡と樹木の説明・写真等は当日の配布資料から引用・転載しています。